社内の人間関係がここちよい会社を選ぶポイントの1つには、経営上層部の力がすべてというトップダウン型の企業か、逆に現場の社員の意見を取り入れるボトムアップ型なのかを見ていく方法があります。

トップダウンで有名なのは、NHK、日本経済新聞、読売グループ、日産、東京海上、メガバンク、野村證券、キャノンなどと言われていて、トップダウン型企業でカリスマ経営者が長期にわたり経営していると、実は次の経営者が育たず業績も悪化すると言われています。

上記の企業のトップダウン型とは異なり、プロの経営者が企業を渡り歩くようなトップダウン企業もあります。野球とかサッカーの監督のように経営者が変わる企業のことです。伝統ある日本企業でもコネクションありきではないあたらしいカタチの経営者を迎え入れる企業が増えています。

一方のボトムアップ企業。ボトムの社員こそ顧客に直接接しているので、顧客に向けたサービスのためには底辺近辺の社員の意見も大事にするというのが典型的なボトムアップ型の企業です。

リクルート、NTT、ヤフー、大手出版、IBM、ITベンチャーなどがボトムアップ企業といわれており、自由闊達で社員参加で意思決定できる反面、適切なコアリーダーがいない場合には暴走や組織分裂のリスクがないともいえません。

決められたことを命ぜられると安心できる方はトップダウン型のような企業を、自分の提案や工夫を認めてほしいという方はボトムアップ型のような企業を選ばれるのだと思います。

でもいくら用意周到に可能な限りを尽くして就職しても、やはり現実は厳しいものです。

どのような企業に就職しても、自分に合う企業を選び抜いたつもりでも、配属となった自分の部署がどのような職場なのかは入社してみなければわからない。

採用面接から内定までの間に出会えた社員はかなり限られているし、実際の仕事の場面で、自分の席から見える風景は就職活動とはまったく異なる現実なハズであり、働きながら徐々に感じ取れるもの。

そして、学生時代までしかしらない自分自身がはたして社会でどの程度通用するのか?できるのか?ということもわからない。

思っていたイメージと現実とのギャップはあって当然。想定外のことがあるのが普通なことだと思います。ガッカリするには及ばない、ということです。

むしろ、思っていたイメージが「甘かった」と思えるとその後の社会人として成長していく見込みがある、とわたしは思います。挫折感を持ちながら、ホントには諦めない。

先日テレビのインタビュー番組で、プロ野球のピッチャーであった桑田真澄さんがインタビューに答えていました。たしか甲子園の高校野球ではいまだに破られていない勝率の記録を持っている桑田真澄さんは、同級生でPL学園に入学してきた怪物バッターの清原和博さんと出会って、

「全然、自分とはちがう。はじめて握手をしたときわたしの目線には清原のベルトがあった。そのくらい『自分は小さいな』と感じた。俺は中学までで終わりだな。全国にはすごいヤツがいるんだな~。」と思ったといいます。

桑田真澄さんはプロになっても挫折感を味わいます。ソウソウたるプロの先輩投手を前に、自分にはできるわけがない、と落胆します。マスコミからのバッシィングなどもあり、いっときは自殺を真剣に考えていた時期もあったそうです。

そんなときに、監督から言われます。

「そんなことで負けていて、なにになるんだ。・・俺はお前の味方だぞ。」

かなり厳しいことを言われながら、鍛えられました。ある日の試合で2回までに5点を奪われた。マスコミ報道などもあって、野球どころではない、まったくピッチングに集中できない試合。

「はやく交代させて欲しい。」とベンチの監督に目配せしながらのマウンドでの投球。気持ちが入らない。全身に力が入らない。また、ヒットを打たれ心が萎える。

監督がマウンドに来る。交代なのか?と思っていたところ、こんなことを言われます。

「今日はあとの投手は全部帰らせた。お前が最後まで投げるんだ。野球は、最後までわからない。そのことをきょうは勉強してみなさい。」と。

じつは、結果その試合では勝ち投手になれたのだそうです。

いまの若い方には、こうした試練を与えられる、思い入れの強い人が嫌いなようですね。こうした厳しい人で自分の味方がいる、ということはあまりよくわからないと思います。なので、「鬼!愛情のかけらもない監督だ・・」と思うのだと思います。

2日ほどまえの何かのテレビ番組では、藤原紀香さんとお父様がはじめてふたりっきりで会食されている場面を放送していました。芸能界入りを強く反対していたお父さんとは、いまだにわだかまりがあるので、ふたりでの食事ははじめてという。

しばしの沈黙のあと、藤原紀香さんから

「なにかいいたいことあらへんの?」と聞くと、開口一番

お父さん:「はよー結婚せー」と言われます。

「そんなにダイレクトに言わんでも・・」と困惑すると、

お父さん:「いちばん心配している人の言うことは、ちゃんと聞かなあかん。

どーでのいいひとなら、『へーへー。ソーソー』というやろけど、どうでもいいと思ってるからや。

本気で考えて心配しとる、幸せになってほしいから厳しいことも言うとるの・・。

芸能界に反対したことあった。わるーことした。いまはぜーんぶ応援しとるよ。」

 

監督にとって、どうでもイイ、見込みのない人間であったなら、「交代しょうか・・」となったでしょう。うすっぺらな人間関係でなら、差し障りのないことにもなるものです。

でも、見込みがある、成長して欲しいと思う相手には、親身になってあえて試練を与えて育てる、そうしたことをヨシとしている人が、たまにいます。親のように思ってくれるひとが赤の他人にもたまにいる。あなたにとってもホントの味方もいるんです、たまに。

「鬼!愛情のかけらもない人・・」と一見すると思えるような人は、じつはあなたの味方なのかもしれません。話しをもどします。

逆に入社する前に思っていたイメージを正しいことにしてしまうと、苦しむ事になる。「自分が思い描いていた会社とは違ってた・・」とか、「楽しい職場と思っていたのに、大変で辛いだけ・・」というフウに思ってしまうと大変です。

ご自分が思い描いている会社を自分に(引き)合わせようとしているだけだからです。どこかに自分に都合のいい会社があって、そこに内定できると勘違いしている。

現実を受け止めることができていない。現実を受け止めるには時間がかかります。イメージと現実のギャップは、新卒で社会人となったひとがどなたでも感ずる違和感なのだと思います。

わたしが新卒で入社した企業では3ヶ月の新入社員研修がありました。ゴールデンウィークには同期同志20人程度が4~5人に分かれ車で山中湖へドライブをしにいったことがあります。

そのドライブに参加した彼は、ちょうどいまごろに、会社を辞めたいとひとり言い出した。

理由はよくわからない。たぶん、「自分には向いていない。」「できそうもない。」と思ってしまったのでしょう。結果、彼は配属される前の研修期間中にほどなく退職しました。

わたしの母は上尾のショートステイに昨年の10月末からお世話になっています。その施設で、この春にベテランの介護職員が特養(特別養護老人ホーム)に転職するために退職しました。そして、あたらしい職員が入社してきました。

そのあたらしい職員さんは、起床する母がベッドから起き上がるときに、リクライニングのベッドと隣に置いていた椅子との間に母のツエを挟んでしまって、ツエをまげてしまったり、入浴介助中に浴室からいなくなったり、平気でウソをいう、問題行動が多いクセモノでした。

イキサツをくわしく聞いていませんけれど、そのクセモノが入社してまもなく、これまで一生懸命がんばっていた職員が続けて辞めることになりました。たぶん、そのクセモノとイヤなことがあって、耐えられなくなったのでしょう。

そうした話しを母から聞いていて、「ずいぶん、簡単に仕事をやめられるものだな・・」とわたしは思いました。(クセモノはもっと悪いんです。でも、世の中にはクセモノはどこにでもいるものです。対処は案外簡単だとわたしは考えています)

ほんの数か月であきらめたり、耐えられなくなるようではいけません。理由はカンタンです。生きていくために仕事で稼ぐ必要が必ずあるからです。洋服を選ぶようなことと同じにしてはいけません。

別の仕事場に変わると、そのイヤがなくなるから、辞めて正解!と思われる方は多いでしょうか?

別の職場でも同じようなことが必ず起こります、じつは。

人生では出会う人はお互いに引き寄せ合って出会うことになっているからです。簡単な例を1つ。

当ブログでは、「・・会社 死にたい。」とか「・・・(企業名) ブラック」といった検索をされて、訪問される方がたまにいらっしゃります。

こうした検索はモッタイナ、と思います。なぜならば、

「・・会社 死にたい。」で検索すると、死にたいような人のネット情報をご自分に引き寄せてしまいませんか?

「・・・(企業名) ブラック」で検索すると、ブラック企業を批判している人の意見とつながることになりませんか?

(ブラック企業はあってはいけません。わたしもそう思います。でもハードワークな企業までもブラックとしている、そんな見当違いなことがかなり多くなっていて、そうした見当違いの意見とつながると、企業不信、社会不信となって結果、自分自身が不幸になる、そんな方がとっても多いと私は推測しています)

どちらも人として、うれしい、たのしい情報にはいきつきません。たのしい人、幸せな人とのつながりにはなりません。暗いんです。すこしだけ暗かったひとが、暗い情報を引き寄せて、もっとドンドン暗くなるんです。

不幸になりたい人は、ひとりもいないと思います。でも、ことばを間違えることで、不幸方面に向かってしまう。

ネットの検索1つでも、人生で出会う人はお互いに引き寄せ合って出会うことになっている、こうしたことがわかるとおもいます。

学校でも会社でも同じです。お互いに引き寄せ合って出会ったのです。そこをイヤなことにして、別な会社でなら自分にとってたのしい職場があるか?というとそうはなりません。

(学生の方がどのサークルにしょうかな?といろいろ体験入部するのは大いに結構なこと。就活でいろいろ会社訪問するようなことはイイことです。恋愛もしかり。でも就職したり、結婚を決意したのなら、「やっぱコッチの服の方がよかったかナ・・」というほど簡単なことにしてはいけません。かなり、命懸けだったハズだからです。)

出会いでは、なにかをしていく課題が必ずあります。イヤに感ずることは、課題を発見できるポイントがわかりやすい。その課題は場面場面で異なり、その人の人生の核心でもあるので、簡単にはわかりません。

でも他者に働きかける、愛することが課題を解決していくカギになります。

そうした課題をクリアして卒業した場合のみ、あたらしい大きな目標を設定してキャリアアップは可能になります。(課題をそっちのけでイヤで辞めると落第です。なので、次の”縁(エン)”は喜ばしい出会いになりません。課題をやりきって”卒業”できると、希望に近い”縁”と出会え、あらたなステージを踏めます。世の中には法則があるからです。)

母がお世話になっているショートステイの職員の方はモッタイナイんです。ワルに負けて辞めたことでご自分の運を下げたハズです。それまでに一生懸命がんばった自分を大事に考えていない。そう私にはおもえます。

”やさしさ”と”こころの弱さ”は同居するのかもしれません。

他人にはやさしくっていい。でも自分にもやさしくしてしまうと、「もうダメだ!」と簡単に諦めることにもなる。

ホントの意味ではそのやさしさは自分を大事にしていない分やさしくありません。ご自分のためになってはいません。

辞めてしまった20才の彼女のお母さんも介護の仕事をしているという。たぶん、こういうことがあったの、もうガマンできないから辞めたい、といった相談をされていたことでしょう。

長年1つの仕事を続けていれば、想定外のイヤなことは起こるものです。お母さんが引き止めたのかどうかはわかりません。でも「この仕事ならどこにでも就職先はある・・」ということでカンタンに辞めたのだとすると、次にイイことはおきません、たぶん。

その理由は、さきほどお話しした、課題をクリアしていないからです。(”課題”というものは、しあわせを実感するために与えられるのです)

1.クセモノに負けずに自分を大事にする。

2.クセモノは、やり過ごして気にしないようにして、気持ちをしっかり保つ。

3.イイ人間関係を一層大事にする。

このことだけを続けていると、勝手にクセモノはなくなります。事実、先月の中頃にはクセモノは出社しなくなったようです。

課題はその場面でクリアできることとして与えられます。(じつは自分で生まれる前に計画しているんです、たぶん)それが彼女にとっての課題だったのだとわたしは思います。

360℃イヤが全部、ということはまず、ありません。イイとイヤはいつでもワンセット。

イイひとがいたり、イイことがあった上でイヤがあるものです。イイ部分を大切にする。イヤにばかり引きずられない。ソコを学びながら、イヤをすこしづつ克服していけるといいのではないでしょうか?

子供のころに目が見えなくなって、高校生で耳も聞こえなくなった福島智さんは現在、東京大学の教授をされてます。たしか、全盲全聾の大学教授は世界に福島智さんおひとりしかいないと思います。

生まれつき目が見えなかったり耳が聞こえなかった方ではありません。失明してからは音楽を楽しみとされた方。その音も聞こえなくなりました。わたしには想像することもできない、絶望感を味わわれたにちがいない。

その福島智さんが高校生のときに耳が聞こえなくなったときにこんな手紙を友人に送りました。

俺にもし生きるうえでの使命というものがあるなら、

それを果たさねばならない。そして、それを成すことが必要ならば、

この苦しみのときをくぐらねばならないだろう。

俺の使命が、

この苦しみがあってはじめて成り立つものだ、

と考えることにしよう。

福島智さんのいう「使命」を「課題」と置き換えてもいいですし、「しあわせ」と置き換えてみても、わかりやすくなると思います。(このブログに行き当たったのも、もちろん、ご縁にちがいない。タマタマではなくって必然なんです。)