学生の頃のバイト先でこんな浪人生がいました。「オレは慶應しか受験しないと決めています。」妥協せずに一途で、なんとなくカッコいい感じにも聞こえる。でも、余裕がない。

今にして思えば、「諦めない教」という新興宗教?の信者のように聞こえます。

高校の同級生には、父親から言われるままに、難関大学のみの受験を続け、3浪という人がいました。

「慶應しか受験しない」彼、の話しを聞いて思った事は、自分の希望で、そう考えている、ということです。

先ごろまで開催されていたオリンピック選手に例えてみると、こんな選手の言葉に似ていないでしょうか?

たとえ話です。「私は、金メダル以外は受け取りません。銀や銅はいりません。」と言って、実際に銅メダルの3位だったので、どうしたか?

表彰台に昇ることを本当に拒否してしまった。メダルも受け取らない。

もしかすると、コーした選手が現実に現れることもあるかもしれない。「新興宗教?の信者」とは冗談に近いたとえですけれど、笑ってばかりもいられない。

世の中は、どんどんと生きづらい。

どのような歴史をひも解いてみても、どの時代でも、人は生きづらい中で必至に生きてきたし、今が特別ではない、という人もいるでしょうし、ソー思います。

ただし、親の世代であれば通用した、「コレがあれば安心・・・」というモノが威力を発揮できない事が今の世の中には沢山あります。大学入試はその点では、条件が受験生と家族の環境に閉じているのかもしれませんが・・・。

「先が見えない今・・・」とか「失われた20年・・・」という言葉とは、「コレがあれば安心・・・」というモノが効力を失って、代わりになる確かなモノが見いだせていない事を専門家の大人達が白状している言葉でもあるのです。

「失われた20年・・・」は終わった、という人が居たりします。その根拠を知りたいですね。株価などを根拠にはできないでしょうね。時が経てばわかります。

また、たとえ話しです。

「オレは慶應しか受験しないと決めています。」の彼、を、サーカスの空中ブランコのフライヤーに例えます。

空中ブランコのエースフライヤーが言いました。

「オレは、絶対成功することしか考えていないし、成功するパフォーマンスだけを信じているから、ネットを外す。」と。

サーカスの綱渡りでも空中ブランコでも、落下した場合に曲芸師・フライヤーを受け止めるネットが下に張られていますよね。(昨今ではネットを張らない命がけが流行っているのかもしれませんが・・・)

受験のお話しに戻ると、第一志望に合格する事とは、空中ブランコでエースフライヤーが演技を成功させて落ちなかった、という事。

先ほど、「大学入試は、条件が受験生と家族の環境に閉じているのかもしれません・・・」と言ったけれど、模試で「合格確実」となっていても、不合格になる事があるのが入試というもの。

なぜならば、模試の問題と入試の問題は同じではないからですよね。

プロのサーカスの曲芸師や空中ブランコのフライヤーはよっぽどでないと落ちません。なんどもなんども同じ練習を繰り返し、同じコンディションの会場で訓練しています。いってみれば、模試の問題と入試の問題は同じです。

ソーであっても、

「オレは、絶対成功することしか考えていないし、成功するパフォーマンスだけを信じているから、ネットを外す。」

と言ったとすると、「この人は無駄死にしたいんだろうか?」と私ならば思います。

世の中は、どんどんと生きづらい。

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普通に見える大人達が、「諦めるな!諦めるな!」とテレビなどでも盛んにお経のように連呼していないでしょうか?

私には異様な呪文に聞こえることがあります。(諦めない事は正しい、でも、諦める事も正しい、と私は考えます。手を放すから次に向かえます。手放さないと地縛霊のように止まりますでしょう?)

そして、大人たちは、「先が見えない」とか「失われた20年」という言葉も使っています。代わりになる確かな対策が見いだせていない事を大人が白状している。

代わりになる確かな対策が見いだせていないのだから、失敗することもある。

思うようには、うまくいかない事は、増えてはいないでしょうか?

失敗する確率は高くなっている。(そこはあまり強調されていません)

でも、「諦めるな!諦めるな!」。選択肢を限定した、信じた人は余裕を失う。

「オレは慶應しか受験しないと決めています。」の彼がその後ドーなったか知りません。

けれど、無事合格したその先でも、こんなことを思っている気がします。

「オレはこの会社にしか入社しないと決めています。」「オレはこの彼女としか結婚しないと決めています。」

と。

なんとなくカッコいい感じにも聞こえる。

大人たちのいう、「諦めるな!諦めるな!」を信じていてソー納得しているとソー聞こえるのだと私は感じます。(だからといって、一所懸命にならない、という事ではありません。私も毎日必死ですよ)

少なくとも、言われている本人は悪い気はしないでしょうね。本人とは、その大学やその会社やその異性。

あなたがたを諦めない!とゾッコンなんですからね。

対象を諦めさせない、擁護するための保護するための言葉。

選択肢を狭めてしまっては生きられない事も多いのが現実の世の中です。

絶対絶命!というお先真っ暗な事は起きます、誰にでも。

でも、流に任せて、次に進む。

失敗したら諦めて次に向かう。または対策を考える。

このモードの切り換えを余裕というのです。