管理人は、若いころ、いわゆる自己啓発系の書籍などで、「感謝のこころが大切」などという言葉を、たびたび目にしてきました。最初にそのことば、「感謝する。」ということばを読んで感じたことは、「誰に何を感謝するの?」というものでした。

感謝するということに、とても違和感がありました。許せないことが沢山あったということもあります。職場でも、社会といったものにも不信感が先立ち、なにをもって感謝などできるものか?といった、自分には到底できない、自分の世界にはないコトバ、と感じていました。

加齢して人の性格が丸くなる、とよく言われます。そうしたことだけではなく、感謝してみよう、と思って、「感謝します。」とこころで思い続けてみました。人生思うようにいかないことが重なり、自分自身のこころのありように原因があるのかもしれないと思うようになったからです。

たびたびの読書で、異なる著者が同じように「感謝」と書かれていて、その言葉を目にするごとに、感謝しよう、という思いを強めていった結果なのだと思っています。

変わりました。徐々になのか、ある日突然なのか自覚はありません。若い頃は神社で手を合わせることにも違和感がある方でした。所詮人間が作った原始の風習の残像、という程度にしか思っていなかったのに。悩殺されるような仕事の中で、暫しの憩い、自然の空気が吸いたくて緑を求めて彷徨うと、そこには神社がきっとありました。

その神社には、ご先祖が守り続けた鎮守の森があり、そこで自分を取り戻そうとしていたのだと思います。
ことのついでに、こころのなかで、祈ってもみた時期もあります。

実は、わたしの実家には仏壇がありません。そうした核家族で育ったわたしが、書籍の影響で、突然、仏壇を購入します。母にその話しをすると、「身内に亡くなった人がいないのに、おかしいことをする・・」などと言われながら。

ご先祖に手を合わせる、それだけです。感謝というのと若干違うでしょうか。先祖を思って手を合わせる、そんな、なんということもないことです。そうしたことを初めて数年した現在、自分なりに感謝の意味というか気持ちが、少しわかってきたように思っています。

神社で車のお祓いで、ご祈祷してもらうと、何かが変わる感じも身体で感じ取れるようになり、御札に手をかざすと何かを感じます。いまでは神棚も家にあります。とても簡単な安めのものです。

相当に旬を過ぎた感がありますが、この夏にNHKで美輪明宏さんの特番がありました。ご覧になった方も、多いことでしょう。美輪さんの本にも、お墓参りがとても大切、と書かれています。とてもまじめで努力をしている方で、芽がでないとか、原因不明の病を患われた方にはお墓参りに効果がある、とご著書でもたびたび、勧められています。

そうした美輪さんの影響もあり、ある日突然、仏壇を購入し、ことのついでに(神さまゴネンナサイ、でもホントです)神棚も祀ることにしたのです。

たまには、お願い事もすることがありますが、原因結果の法則というのを知ってからは、「ありがとうございます。」と報告のような感謝をしています。神棚でお水を備えて手を合わせているだけです。

仏壇に手を合わせるだけです。逆に、先祖が幸せになるように気持ちを送ることもあります。そうしたことで、自分のこころもちがその瞬間から軽くなり、気分を新たにし、それから仕事を始めます。

原因結果の法則というのは、こだまのようなところがあります。「何々してほしい。」と求めると、また、求める自分を形作ります。「何々がほしい。こうしてください。」とお願いすることで、また、「何々がほしい。こうしてください。」という状況の自分を呼び寄せてしまう、そうした法則です。

感謝する、「ありがとうございます。」と祈ると、ありがたいことが起こって感謝したくなる状況を自分に呼び寄せます。なので、感謝することが大切で、与えることが大切になります。与えると、与えたものがカタチを変えてあなたに帰ってくる、そのように世の中はできています。

怒りや不満や不安の感情があっては楽しくありません。

サイコロの目にたとえます。1の目が怒り、2が不満、3が不安。5が楽しい、6の目が感謝としましょう。
人は瞬間瞬間に無意識にサイコロを振って、自分のこころの感情を決めてしまいます。
サイコロを振って1の目がでているときは、怒りになっていて、他の感情を受け付けることはできません。

必ず、どれか1つの目のみになる。

怒りながら感謝することも、不安があって楽しい気持ち、そうした2つ以上の目を共有することが
できないように人はできています。

実は、人間には、そのままでは、自分のそのサイコロの目を選ぶことができないようになっています。

初期仏教では、動物のような感情だけで人間は生きていると説明しています。このテクノロジーの高度に発達した21世紀を生きていると、とても違和感を感じる方も多いことと思います。

そこを、自分の口癖で変えていく。いつも楽しい5の目や感謝の6の目でいる、そうしたことができます。
アルボムッレ・スマナサーラさんという初期仏教のお坊さんは、慈しみの瞑想で、誰でも必ず良い方向に自分を変えることができる、といいます。

慈しみの瞑想というのは、
「わたしがしあわせでありますように、わたしの悩み苦しみがなくなりなすように、わたしの願いごとが叶いますように・・・」、
「わたしの親しい人々がしあわせでありますように、わたしの親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように、わたしの願い事が叶いますように・・」
「生きとし生けるものがしあわせでありますように、生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりなすように、生きとし生けるものの願いごとが叶いますように・・・」
というものです。

管理人の経験では、このほかにも、おもしろい方法を発見しました。もちろん実験済みです。
発見した人が書いた書籍を発見した、というのがホントのところです。

「うれしい・たのしい・ありがとう・感謝します・ゆるします。」

この言葉を口癖になるくらい毎日こころのなかで、または、声に出してつづけていく。
すると、1000回ほどで、こころもちが変わってきます。
一日100回続けると10日。一日30回で1か月。なにかが変わります。

それからも、続けていきましょうネ。自分で自分に催眠をかけていく。他人に洗脳されてはいけません!!

自分の機嫌は自分でとる

社会に出ると、仕事ができるひとでも、機嫌を他人や状況でしか取れない方が沢山います。
自分で自分の機嫌をよく保つことは、とても高度なことなんですが、だれにでもできる方法です。

とても強く生きていくことができる方法。

斎藤ひとりさんは、街ゆきかう通りすがりの人々に対して、
「あなたに起こる良きことのすべてが、雪崩のようにおこります。」と言って歩くのだそうです。
恥ずかしいので言えませんね。

でも、面白がって心の中で、言っていくと、いい人相に変わってきます。

こうして、自分のこころもちがいい方面で定着してくると、いいことが起こり出します。
ぜひ、タダでできることから、ぜひぜひ、やってみてくださね!!!