11/15のSWITCH INTERVIEWというテレビ番組で面白かったのが、インタビュアーの阿川佐和子さんとあの船橋市のご当地キャラの”ふなっしー”との対談です。
”ふなっしー”の本名はフナディウス4世といい年齢が1876歳だったって知ってましたか?ちなみに誕生日は7月4日ということです。ふなっしーの職業は”梨の妖精”で身長は90cm。体重35kg。274人兄弟の4番目。特技は皆さんご存知の2段ジャンプです。(笑)
ふなっしーは虚言癖があるようで、もともとツイッター上でのみ存在していた頃の誕生日は11/22。ツイッター上で地上の方々とやりとりしていたら、「いつごろコッチの世界に来るの?・・・」という話しになって、コッチの世界に現れたのだそうです。
あらわれてみると、意外に世の中は厳しいもので、だれも相手にしてくれなかったそうです。「完全なる不審者の扱いだったなっし・・」とご本人は語っていました。公園や橋の上など各地に出没。自ら撮影した動画をネット上にアップし続けた。
じつは、ふなっしーは船橋市公認のご当地キャラではありませんでした。おもしろいことに、「勝手にやっていた」んです。イベントやショピングモールに呼ばれていっても最初はぜんぜん人気が出ない。でも、そのうちに地方のご当地キャラから呼ばれるようになります。
そのときに、ふなっしーは、どうしたら自分が目立つか?といったことは考えていなくって、ただ1つ「見てくれるお客さん、目の前のひとに何をしたら笑ってくれるかな?」ということだけを考えていたのだそうです。
たとえば、中は夏は暑くって30分が限界。呼吸するために顔のほほの部分を両手でおさえて伸ばしてを繰り返していると、「それがおもしろい」と言われてツイッターに載せてくれる人がいました。「こういう動きがみんなすきなんだー」とおもって、顔をブルブル震わせるようになったのだということです。
そんな、ふなっしーはどうしても出たいイベント、ゆるキャラサミットに出場できることになります。でも、ただ一つ条件がありました。このゆるキャラサミットの出場条件は自治体や観光地からの推薦状が必要。でもふなっしーは船橋市を応援はしているけれども、船橋市のご当地キャラではない。勝手にやっていたから出場の条件である推薦状をもらえていませんでした。
そこで船橋市に掛け合います。「公認してほしい・・」と。ところが、あまりにも突然でもあるし、行き違いがあって、あえなく公認してもらえませんでした。(後に正式に公認されますが)
そんな時に、秋田のご当地キャラのニャジロウのデザイナーのやなぎはら ともみさんから「ニャジローのブースにアルバイトできてもらえない?」と誘われます。
ふなっしーは、お店の前で商品の説明をしたり、ニャジローのグッズを買ってくださったお客様にファンバッジを差し上げたり、一生懸命働いた。ふなっしーにも下済み時代があったのです。さらにつけくわえると、梨の妖精であり、本名はフナディウス4世で年齢が1876歳で、274人兄弟の4番目のかなりの弟や妹のいる立ち位置であったのに・・・(笑)。
ご当地キャラにはまちおこしのために税金を使って公認で動いているキャラもいるし、非公認で自力でやっているご当地キャラも結構いるのだと、梨の妖精さんは仰ります。
では、そうした非公認のキャラさん達に「どのようにしていったらいいと思いますか?」と阿川佐和子さんが質問しました。
「やりたいようにやるのがいちばんベストだと思う、なっしな!」
あなたは何がいちばんやりたいの?との質問には、
「いちばん根底にあるのは”郷土愛”と”人を喜ばせること”なっしな!」
キャラでは声を出さないのが普通だけれどあえて話しをしたり、喜ぶポーズやジャンプをしてみせるようにしてコミュニケーションをとると皆さん大変に喜ぶんです。どこかのイベントに行ったことがある方が、今回のイベントで
「わたしのこと覚えてる?」と聞かれると。
「ちゃんと覚えてる!」と答えるようにしているのだそうです。(98%覚えていないけれど、相手が喜ぶことが第一と考えている梨の妖精さんは、相手が喜ぶような返答をすること、「ちゃんと覚えてる!」と答えることが正しい、と考えているんですね。こういうのってイイなとわたしもおもいます)
ふなっしーはおならはあまりしません。でも、たまにするとこもるので地獄なのだそうです。
「風邪をひいても鼻がかめないですね」と阿川さんに聞かれて、
「あまり風邪はひきません。ひいてもこのテンションは落とせないから・・」。
たまに、風邪をひいて動きが良くないと、「アイツ、今日体調悪いんだな・・」と思ってもらえると、
「これ幸い」「これ幸い」なのだそうです。
ふなっしーの人気で船橋市へ、ふるさと納税される方が多くなり、1度断られていた公認をその後受けることになった”ふなっしー”は海外のテレビ番組(CNN)でも取り上げられています。
なぜ”梨の妖精”なのか?
船橋市の特産物で郷土愛を伝えたい。船橋市は梨が特産物だからなのだそうです。
こうした、税金では動いていないふなっしーにとっていちばん辛い仕事はなにだったのか?せつない仕事はどのような仕事だったのか?
あのテンション上がりまくりのふなっしーだからこそ聞いてみたいと阿川佐和子さんは思いました、たぶん。
8時間位テレビの撮影して実際に映っていたのが、5分くらい、といった、拘束時間が長いのにあまり使われないことがあると「つらいな~」と思うのだそうです。
ふなっしーの1回の活動の限界は30分。それ以上続けると救急車のお世話になってしまいます。8時間の拘束ということは、16回もしんどい思いを続けるってことです。なので、一層5分しか使われないと報われないと感ずるのでしょうね。
わたしは、仕事で「つらいな~」と思うことよりも、仕事がないことのほうが、「つらいな~」と思うホウです。仕事のつらさは、人から必要とされる仕事がないことに比べると、大したことではない、といまでも思います。
阿川佐和子さんから今後の希望のようなものを聞かれると、
喜ばれるうちは頑張りたい。そうしたことに迷いがないのだそうです。(とっても真面目ですね)
やりたいことをやりたいようにやっているので、そうしたことをやっている最中に死ねればいいかな?と思っているのだそうです。(スゴイ!!)
徐々にペースは落ちていくとおもうけれど、やれる範囲でやっていきたいと思ってる。テレビで、こうした番組に呼ばれることも、そんなに長い期間じゃないとおもう。こうしたブームが終わってからは、学校とか幼稚園に呼ばれて、気楽に行けるようになれればいいかな?と思っているのだそうですヨ。
「喜ばれる活動はペースが落ちても続けていきたいと思ってるなしな!」
普段は表に出ない、出さないこうした考え方を聞くことができ良い番組であったと私は思います。
もしかしたら、こうした普段ふなっしーが心がけている事、でも普段は話さない事をふなっしーの芸から多くの方々が感じとれるから、いまの人気があるのではないか?
普段の日常のこころがけが、そうしたことを忘れて立ち居振舞う場で、見る人々に伝わることがある。普段の志とか思いといったものが大切なのだとあらためて思いました。
ふなっしーに限らず、雰囲気がイイ人と感ずる人というのは、こうした日頃のなんということはない”こころがけ”にあるのだと思います。
そして、ふなっしーにとっての「やりたいことをやりたいように・・」ということが実は「ひとを喜ばせること」だという素晴らしさ。
たぶん、”やりたいこと”と”ひとを喜ばせる”ことが合体すると、最強な生き方ができるのだろうと思います。
ふなっしーは世に出る前の2~3年間、5万円ほどで購入した材料で作った小屋で貧乏生活をしていたことがあります。
そうした経験をしてきているので、「なにをやっても生きていける自信がある!」といいます。
「大前提として、そんなにお金がなくても生きていける。貧乏が苦にならない、全然ならないなっしー。いまは、少々、梨持ち(金持ち)にはなっているけど、それだから幸せかっていうと微妙なはなし。」とおっしゃります。(お笑い芸人の方々が似通った価値観と見受けられるのとは真逆に、独自のスタンスをお持ちのようです、通りいっぺんではないところがイイですね)
お金があればシアワセということでもない。
「ではいちばんのしあわせって何?」との阿川さんの質問に、
「死ぬまでに、たのしい思い出をたくさんつくること。」と実に明解。(実は、わたしも、人間がしていることは、とどのつまりは、思い出づくりなのではないか?と日頃考えています。)
この11/15のSWITCH INTERVIEWでの ふなっしーと阿川佐和子さんとの対談で面白かったのは、ふなっしーがインタビュアーとしてインタビュアーとして有名な阿川佐和子さんを逆インタビューする場面でした。
ふなっしーは阿川さんが最初に仕事をしたのは、どのようにしてなのか?と尋ねます。
阿川佐和子さんは、大学を出てからは、就職することに興味はなくって、お嫁に行きたかったそうです。(ちなみに阿川佐和子さんにはこれまでに婚歴はありません)30回以上もお見合いをしたけれど決まられなくて、結婚はできないのかな?と20代の後半くらいの時思っていたのだそうです。
阿川佐和子さんのお父様は作家の阿川弘之さんで、あるとき時計の広告用の写真でお父様とご一緒に写真を撮影することがあり、その写真を見ていて気に入られたテレビ局の方から「テレビのアシステントをしませんか?」とお話を頂いたのだそうです。
そして、テレビのニュース番組のアシスタントを続けていくうちに、
「このまま続けていくのは、自分のホントにやっていきたいことではないナ」と思うようになります。
そして、そのアシスタントの仕事を辞めたいと番組の上司に打ち明けると、信頼を裏切るようなことになり、今後仕事がなくなるよ、とさとされます。
このときにその上司からは、「作家のお父さんやニュースキャスターの筑紫さんの七光りで君は仕事ができているのだ・・」と言われて阿川さんは、カチンと頭にきます。このまま、誰かの七光りで終わりたくない。自分を試してみたい。
ココで仕事を辞めて、自分のしてみたいことをしていった先のどこかで、たった一人の人から「一緒に仕事をしよう」と声をかけられたなら、それは自分自身のチカラでその仕事を勝ち取ったことにならないか?
ソコにかけてみたいと阿川さんは思います。そして、万一、失敗してしまい、だれからも声が掛からなくなっても、「また、バイト生活していけばいいや」と思います。
こうした阿川佐和子さんは、ほかのテレビ番組でアシスタントを続け、週刊誌で著名人との対談で評判となり、類まれな才能を発揮していきます。でも、いまだにインタビューの仕事は好きではないし、書く仕事も好きではないと仰ります。(週刊誌のインタビュー記事は名物となり、ご著書もベストセラーとなっているのにデス)
「結局、受注産業ですから・・」とおっしゃります。
どういうことか?というと、仕事というのは、自分がしたいからできるものではありません。「あなたにして欲しいんだ・・」と自分以外の人が思うことで、初めて仕事を得るんですね。
阿川さんには実は、目標がありません。
夢もないのとおっしゃります。
「軸がないの」とも。
たぶん、階段を登るイメージのスキルアップのような、てっぺんの目標はあえて決めていないのでしょう。でもたぶん、1つ1つの仕事でなんとか成果をあげようとがんばってはいるハズです。次の受注がなくならないように。
そして、好奇心は旺盛でいろいろな仕事に首を突っ込みます。あらかじめ、「これがしたい!」と決めることなく、来た仕事を一生懸命とりくむ。
たぶん、花嫁修業をして結婚を夢見て、夢見て、夢見て、結果どうしてもどうやってみても叶わなかったこと。そして、逃げたくても逃げられない父からの怒り(作家の阿川弘之さんはいつも家庭で怒鳴ったりしていて家族は大変な思いをしていたのだそうです)。
こうしたいという思いは、なかなかかなわないと経験から悟ったのではないかナ?そして考え方を変えたのだとわたしは感じます。
だから、「目標をもたない」というところをスタートラインにして、一日一日のみに目の前のことだけをしてみることにしたのではないかな?
一人の人生にも、うまくいく時と、どうにもならない時期が必ずあるのだと思います。
比較的うまくいっている時期ならば目標を設定してみる。そしてその目標の達成感を味わう。
なかなかうまく行かない時には、日々に集中する。あまり考えないことにしてみる。
こうした2つのモードを切り替えてみる。あなたのラクな感じで切り替えてイイ。
コンを詰めすぎることなく、ザックリとした目標をサクッと決めて、あとは日々に集中する。
そうした日々を重ねて行くと、きっと、なにかしたいことが沸き上がってくる、自然に。
何かに行き詰まったときには、叶えようとすることを少なくするとラクに生きられることがあります。
ふなっしーは、目の前のお客さんを笑わせて楽しませることだけに集中し、阿川佐和子さんは、与えていただいたお仕事に感謝して、その方を裏切らないことだけに集中している。実にシンプル。
お二方とも、ほかの人からは、どこを目指しているのよくかわからない。でも、ご自身の中には確固とした強い意思があるのだと私は思います。