グラフ社長 北川一成さんの続きです。

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グラフ社長、北川一成さんが面白いんです!! 1/2

一生懸命に印刷したオヤジの広告、ビラが捨てられることで、北川少年は大きなトラウマを作ります。

「どうしたら、捨てられない印刷になるのか?」その時からずっと少年は考え続けます。

そして、「捨てられない仕掛けが、オヤジの刷っている印刷物にあれば、捨てられなくならないかな~」とずっと考え続けます。

ずーっと子供の頃から考え続けていることはありますか?

もしかしたら、誰にでもあることなのかもしれません。
実は、誰のこころの中にでもあるものなのではないですか?
忘れる、忘れたことにしてしまっている。

あなたにもありませんか?

話がかわります。
「売れ残る時代の転職術」(三田紀房著 講談社)の、「マイナスの感情を掘り下げろ」という節にこんなくだりがあります。

『夢を目標に変えるとき、人は自分の好きなことに注目する。楽しかったことや憧れや得意分野から考える。
しかし、あなたが抱えているのは、「好き」や「楽しい」といった感情だけではない。

むしろ、「怒り」、「憎しみ」、嫌いといった感情、そうした一見マイナスとなる感情にこそ、あなたの本音(ホンネ)が隠されている。

感情がむき出しになるような「好き」を持ち合わせている人は意外にすくない。
自分がなにをやりたいのかわからないというような人は、マイナス感情から向き合え。

誰だって、強い怒りや憎しみを感じる瞬間がある。なぜだかわからないが怒りを爆発させる瞬間、理屈抜きで許せない存在がある。

そうしたマイナスの感情の裏側には、必ずプラスの感情が隠されている。

マイナスが強ければ強いほど、裏側に潜むプラスも強烈なものなのである。

あなたの「好き」だけを見つめていただけでは、決してでてこない答えがソコにある。』
戻ります。

グラフのある兵庫県加西市には、酒蔵「富久錦」があります。
江戸時代から続く1839年創業の老舗です。
富久錦の相談役の稲岡輝彦さんとの出会いが、北川社長の運命を変えます。

当時、専務であった稲岡さんは150年続く酒蔵の大改革にまさに乗り出していました。
酒の製造からビンのデザインまでを含めての改革でした。

それまでは、酒の種類がことなると全く趣の異なるラベルを瓶に貼ることが普通でした。
種類の異なる酒でも同じ酒蔵が作ったことがわかるようなデザインにならないか?
大手広告代理店に依頼し、上がってきたデザインに納得できない。

筑波大学(不憫なお兄ちゃんはガンバリました)の視覚デザイン科を卒業したばかりの北川に話しが持ちかけられます。
広告代理店からあがってきたデザインをみた北川青年は、「加西市の土とか湿度そういう匂いがない。」と思います。そして意見を求められ、
「泥臭い部分が感じられないですね~」と偉そうに言ってしまう。

これがよかった。
稲岡専務のこころを捉えます。専務は、賭けに出ます。北川青年にデザインの試作を依頼します。

あがってきたデザインをみて、素直に「おもしろいな」と思う。

一方、北川青年では、試作の時点で、オヤジから、「駈け出しの自称デザイナーのお前に務まる仕事ではない。老舗のデザインなど、どうせできるわけがない。丁重に断ってこい!」と言われます。

北川青年はどうしたと思いますか?
実は、3度このあとに断りに行きます。3回です。

「丁重に・・・」ということが頭に強く残ります、どのようにすると丁重なのか?
「駈け出しでこのような大きな仕事はできませんので・・」とギコチなく断りのあいさつに伺うと、
この稲岡専務は、「わかった、とりあえず見積だけでも・・」とそれとなく切り返します。

「断ってきたか!」と昭和のガンコ親爺に問われた北川青年は、
「断ってきた。でも見積を出してほしいと言われて・・」と返答して、また叱られます。

「今度こそ断ってこい!!」。

駈け出しのデザイナーではありえない破格の金額の見積りを提示すれば断れるハズでした。
手を震わせながらその巨額の金額を見積書に書きます。

その金額に、「そんなもん、でっしゃろ。」と応諾する専務。ここで2回目。

そのあと、これまでのすべてを正直にお話しをしに伺います。
「でもやってみたい。」というのが北川青年の本心でした。
実は、稲岡専務は「もうはじめから決めているんだよ。」という。3回断りに行って、3回失敗してしまった人。

縁。というものがあります。運命の人というのは仕事の世界にもいる。
その人との出会いで、人生が拓けていく。
あの生徒のころの、あの先生との出会いで、あのとき飛躍できた!ということはありますか?

萩本欽一さんを知っていますか?
北野武さんのお師匠さんのような方で、いまの明石家さんまさんのように
テレビに引っ張りだこの売れっ子でした。

その萩本欽一さんの番組に、駈け出しの頃、あの木村拓哉少年が
裏方のようなお手伝いのようなことをしていた時期があります。
あるとき、「君が好きな食べ物は何?」と萩本さんが聞きます。

「おかあさんが作ってくれたお稲荷さんが一番好きです。」と木村拓哉さんは
はじめから決まっていた、というように元気に誇りを持って答えます。

この様子を観て萩本欽一さんは、驚き、只者ではないとピンときます。
そして、ジャニーズ事務所の社長に、
「この子は、ここにいてはいけない子だよ。」と進むべき方向を修正するように促しました。

たぶん、母親のことをとても大切に、そこを起点にして芸能界に来た、ということが分かったのでしょう。
だから、ここで、真似事ではなくて、ホントに本人がしたいことをさせてあげたい。
絶対、大成していくことを見抜いていたのでしょう。

社会に出てからも、そうした不思議な縁というものがあります。

たぶん、いやきっと、こころで通ずるものが最初から2人にはあったのです。
「この人にはホントのことを話してみたい。」と北川青年は思い、
「この若造、骨があって、面白いやっちゃ。」と稲岡専務は思っていた。

北川青年は、この最初のデザインの仕事で、1996年の日本グラフィックデザイナー協会新人賞を受賞します。
プロのデザイナーの登竜門で認められます。

不憫なお兄ちゃんはがんばりました。3回も断わりにいったのに。
社内ではダメダメでいたハズなのに。
ここから、北川社長の快進撃がはじまりました。

逆バネのチカラで、「捨てられない仕掛け」としてのデザインを確立していきます。
北川少年のトラウマが花を咲かせました。

作家から天台宗の尼僧になられて文化勲章を受章された瀬戸内寂聴さんは、
ひとそれぞれに「人生に花を咲かせてほしい。」と仰います。
このようにして、花を咲かせることもできると、北川さんから教えられます。

かつて「おやじはゴミを作っている!」と食って掛かっていた北川さんは、実は、
オヤジさんのホンネが知りたかったのではないか?「そうだ、俺は悲しい。毎日こころで泣いている。」と言ってほしかった。

「よっしゃ、わかった!オレが何とかしたるで、おやじ!」と言いたかった。

自分にとって大切な人に関わる、怒りや憎しみ、悲しみといったものが、
夢とか目標の原動力の中で、最も強烈なパワーを引き出す、そうしたことがきっとあります。

純粋なこころが、強い意志に変わり、カタチを変えて仕事を推し進めていく、
周りを巻き込んでいくということがあるのでしょう。
たぶん、北川青年の無垢な心に、稲岡専務は巻き込まれていってしまったのです。

「イヤ!」な思いをそのカタチのままにしていると前には決して進めない。
くすぶったまま人生が終わります。
強烈な「イヤ!」にこそ、わたしの、そして、あなたのヒントがあるのかもしれません。