ふだんあまりサッカーを見ないのですけれど、ワールドカップの予選でかなり苦しい立ち位置の日本が、一昨夜カンボジアと戦いました。ご覧になった方も多いとおもいます。
シンガポールとの戦いではドローとなってしまい、ランキングが決して高くはない格下の敵であっても堅い守備には、新監督のハリルホジッチさんの戦法では点がとれないのでは?とかなり苦い思いをしていたようですね。
シロートのわたしの目でも、その実力は桁違いとわかりました。ひとりひとりのテクニックに明らかな差がありました。本田選手には3人のマークがついている。それでもボールを取られることは決してなく、むしろオリンピック選手と中学生の部活のサッカー選手くらいの違いがあった。(カンボジアの選手に怒られそうですが)
ところが、なかなか前半に得点がとれない。
たぶん、ハリルホジッチさんにはおおきな弱点があるのでしょう。自信を失ったのです。その1つの証拠は、選手の選び方が、これまでのハリルホジッチさんの選手起用の方針とはまったく違ていたことです。
勢いある、あたらしい成長できる若い選手よりも、過去の実績で信用が備わっている出来上がっている選手が多く起用されていました。それまでは、どちらかというと代表選手としては無名でもキラリと光る素質のある選手を無作為に選んでいたという印象をわたしは受けます。
前回は、斉藤一人の絶対成功する千回の法則
を取り上げさせていただきました。そこにはこんなことがかかれています。
失敗したことばかり考えていると性格が暗くなるうえに、
失敗を恐れて気持ちが萎縮するので、
ついには、いいアイデアが思い浮かばなくなります。
そうなると、また失敗。
どんどん失敗の深みにはまっていくわけです。
なにか、このことばそのものが日本人選手に当てはまっていたようにおもいますが、いかかでしょうか?
コップに水をそそいでいます。ヒトは自分のことばと他人のことばを聞いてこころの内底にその水を溜め込むというお話しを前回しました。
じつをいうと、ほとんどの人の水は濁っているのです。
なぜなら、気がつかないうちに、自分やまわりのひとが、
その濁った水をコップの中に垂らしているからです。
どういうことなのでしょうか?
この濁り水とは、それまで自分が声にだしてきたり、
あるいは、自分に向けられてきたあきらめ、絶望、ねたみなどの言葉です。
「わたしは本当にダメな人間だなあ」
「なにをしてもうまくいかないなあ」
「あ~あ、お金がない・・・」
けなされたり、バカにされたりしていると、
心の水はドンドン濁ってしまいます。
私たちの心のコップには水が満々とはいっています。自分に向けたことばやまわりの人からのことばを耳にすることは、このコップにしずくを垂らしていることとおなじです。
そのコップからは水があふれてこぼれます。このこぼれた水が、その人の人間そのものをあらわしているのだと、斎藤一人さんはおっしゃります。
溢れた水は、その人の表情であったり、態度や行動になります。
立ち居振る舞いやしぐさ、そしてことばとなって出てくることもあります。
「嫌み」という濁った水で満たされているコップを持っていると、あふれた水も「嫌み」です。
心のコップが濁っている水で満たされているあいだは
決して幸せになれません。
幸せになるためにはまずしなければならないことは、
この濁った水を澄んだ水にすることです。
と斎藤一人さんはおっしゃります。
熱烈なサッカーファンにはオシカリを受けるでしょうか?
前回のシンガポール戦のあとにファンやマスコミが濁った水を選手にこぼしてしまった。それで、選手のコップに大量の濁り水が入ってしまいました。すると、選りすぐりの実績豊富な選手たちであっても、いいアイデアがでない。いいパスが思いつかなかった。
ファンやマスコミのマイナスのことばが効果を発揮?して日本の選手のチカラが弱まった。一層、負け方面に向かわせた。
試合には勝ちましたけれど、本調子ではない理由はココにある。
ことばはかなり重要なのです。
そうしたことのよくわかる試合だったとわたしは思います。