今年いちばんの寒波でグット寒い朝となりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?わたしのこの川口市内の自宅の室内の湿度は35%。寒さ対策とともに加湿を適度にして頂くと風邪予防になるかと思いますヨ。

私事で恐縮ですが、この1週間ほど実家の上尾に行きっきりで久々に自宅に昨夜戻りました。理由は、母の体調が思わしくなく、いつもお世話になっているケアマネージャーさんから老人ホームへの宿泊を勧められて早速昨日そのホームへお世話になることになりました。

ベッドから朝ひとりで起き上がれない。高齢者用の電動式のベッドをレンタルして利用してみても体に合わず、ココはひとの手をお借りするのがイイとケアマネージャーさんが判断されたようです。わたしは仕事をすぐに休むことができないので、出勤前に母を起こしたり食事を作ったり実家に泊まり込んで身の回りの世話をしていました。

急遽無理を言って入所させて頂いた介護施設に私も面会訪問させて頂き、母の部屋の様子を観察させて頂いたり、夕食がどのような感じかも食堂で見させていただきました。昨夜の夕食は、ちらし寿司とゴマのお干たし、すまし汁、サトイモの煮物、それと梨のデザート。かなりボリュームがあって味もおいしいと言っていました。

昨日は午前中に兄の車で入所して、午後はリクリエーションでビンゴゲームをしたようです。ほかの入所されているみなさんは食事中も普段もあまりお話しされないように見受けました。なので、リクリエーションで声を出すというようにしているのでしょう。パンケーキを手作りするようなリクリエーションなどもあるようです。

すこし話しが脱線します。夜勤の仕事中にその前の深夜にネットニュースをみていると、昨今原子力エンジニアが少なくなっているということです。電力会社の原子力エンジニアが相次いで職を辞し分野の異なるエンジニアとなっているということでした。理由は、原子力エネルギーの開発で社会貢献したいと希望していたのに、廃炉の仕事にはモチベーションが高まらないから、なのだそうです。

そして、大学から新卒で原子力エンジニアを希望して入社されるかたが減っている。

技術を立ち上げて、建設して発電所を稼働させるということをしたいのに、設備を廃炉していく止めていく作業に従事することに魅力を感じたいというのが主因なのだと思います。

若干、「なぜ?」という疑問を感じながら電力会社でのエンジニアの職をやめられる方の本意を紐とくと、それまで超一流企業でその一員としての誇りでもあったハズのその企業の行く末を案じ、あらたな職を得ることを正当化する詭弁のようにも聞こえます。

「収束させる」ことには魅力がないのか?

法政大学の総長の田中優子さんがいつかのテレビ番組で、「日本の原子力の廃炉技術は海外に輸出できる先端技術になる・・」とお話しされていて、わたしも”そのほうがイイし、そこに活路は見いだせる”と感じていたので、廃炉にモチベーションを感じないというエンジニアの方々の考え方にすこし違和感を感じてもいました。

こうした頭で昨日老人ホームで母の入所を迎えたので、わたしには”老人介護”と”原子力の廃炉”とを関連させながら考えていました。ひとの人生と原子力の廃炉を関連させることは不謹慎なことなのかもしれません。でも、なにか似たような要素がある。

介護の現場は人生の収束に寄り添う場なのですから。収束ということでは似ている。

そして、介護の、人生の収束に寄り添う場の仕事を選び働かれているスタッフさんは、みなさんとても優しい。

都会のオフィスビルにある優しさとは質が異なる空気感がありました。そうしたスタッフの方々を観察しながらも、「介護職の人員が足りていない理由は、廃炉に希望がもてない原子力エンジニアにも似た某かの要素があるのだろうか?」と考えていました。

おおよそのこの世は、子供が成長していくこと、生まれた子がだんだんと成長していくことには喜びを感ずるけれど、老いて行くことを忌み嫌うところがあります。当たり前と言ってしまえばあたりまえ。わたしにもあります。アンチエイジングという言葉は、ダイレクトに若さを保ちたい希望が生み出した言葉なのでしょう。

初期仏教、テーラワーダ仏教の長老で日本に住まわれ瞑想指導や毎月講演会をされているアルボムッレ・スマナサーラさんは、子供が成長していく変化と成人が老いて行く変化は本質として同じ変化なのだと仰ります。

「そんなわけはない!」と100人が100人感ずるであろう事。成長していくことと衰退してしまうことは同じハズはない、とわたしも思います。

でも、アルボムッレ・スマナサーラさんははじめから決まっているかのように、そうではない、とおっしゃります。たぶん、初期仏教には、”あきらめる”こと”執着しない”ことをヨシとしているところがあるで、日頃の私たちがよく耳にしている”あきらめない”ことや”こだわることはイイ”、といった頭でいてはわからないのでしょう。

ただし、アルボムッレ・スマナサーラさんは、老いることは”楽しい”ともおっしゃっています。

いまの母が自分が老いていくことを”たのしい”と感じているかは、わかりません。

たのしくないことばかりなのだと思います。毎日痛いことに耐えている。それでも、心穏やかでいるのは、中年の頃のアンチエイジングといった事や、一年前にできていたことができなくなることを、受け入れる、諦めているからなのではないか?とそんなことを考えていました。

なぜ、オフィスビルのような職場にはない”優しさ”が昨日のホームのスタッフさんにはあるのか?

なぜなのかは、わかりません。

”老い”に寄り添う事で、日頃私たちが感じている”あきらめない”ことや”こだわることはイイこと”といったことから、離れている部分があるからなのかもしれません。たぶん、廃炉にモチベーションが持てないという方々とは真逆のベクトルの、質の異なるモチベーションをお持ちなのだとわたしは思います。

急遽、無理を言って宿泊させて頂いている部分もあって、実は5日後には一旦そのホームを出て新しい施設を探していただくことになっていたり、施設で入浴するためには、皮膚の感染症がないと医師に診断書を書いてもらう必要があるなど、まだすこし落ち着かないところがあるのですが、1週間ぶりにやっと当ブログを書ける状況となりました。