今回の仏像ナビゲーターの宮澤やすみさんは、
1969年生まれの男性で、
三味線の演奏家でもあります。

小唄の師範でもあるそうで、
2012年には、ドイツで音楽の公演もされた方です。

宮澤やすみさんの、出発前のレクチャーを終えて
いよいよ、仏像めぐりです。

最初に訪れたのは、蕨駅東口にほど近い
塚越公園から徒歩3分ほどにある、
如意輪観音堂です。

江戸時代の徳川家光の頃、全国でキリシタンの一斉検挙が
行われていました。(1623年、元和9年7月、キリシタン殉教事件)

川口市でもキリシタンが検挙されていたのですが、
寺の住職が、キリシタンの娘を助けた
ということが資料に記されていました。

そのキリシタンの処刑などが記録されている、
「寒松日歴」によると、
芝の代官・熊沢忠勝の娘(洗礼名:ルヒアーナ) を

長徳寺の住職の龍派禅珠(りゅうはぜんじゅ)がかくまって
命を助けたと記されていました。

その記録を確かめる中で、
1956年に、このお寺の阿弥陀如来坐像の胎内に
マリア観音と十字架があることを発見します。

その発見された、元川口市職員の渡辺惣蔵から解説を
して頂きました。

この阿弥陀如来坐像は、天台宗のもので、
満蔵寺という寺に安置されていたそうです。
それが、200年ほど前の大火で

この如意輪観音堂に客仏として
移り置かれたということです。

そして、この阿弥陀如来坐像は
生き残った信徒の信仰の
よりどころになっていたということです。

自分の命も危ぶまれる、
ルヒアーナ助命の画策を
なぜ、龍派禅珠が行ったのかは、いまだに謎ということでした。

観音は、自身がどのようにも変化(へんげ)して
どんな人も助ける、
というキャラクターなので、異教徒おも
救いたいという思いがあったのかもしれませんね。

安置されていた、阿弥陀如来坐像の
厨子は、「開けると目がつぶれる。」と
言い伝えられてき、
1956年まで開けられたことはなかったそうです。

このマリア観音と十字架は、
見ることができないもので、
今回のツアーで特別に見させていただきました。

境内には3つの仏像を安置する
厨子がありましたが、
このマリア観音が隠されていた厨子は

一番古びた
他の2つに比べて
見た目も質素な面持であったのが印象に残りました。

この胎内マリア観音と十字架は、
ルヒアーナが芝村に検挙を逃れた際、
江戸の信徒から託されて持ち帰ったのだろうと推察されているそうです。

実は、わたしはこの寺の前の道を
自転車でよく通るので、
感慨深いものを感じていました。

ちかくのディスカウントストアを
「今日の売り出しなんだっけ?」と

普段何の気なしに利用していたその
ストアの向かいの寺に、こんな史実があったのか、と。

普段あまり、歴史に興味はないのですが、
考えてみれば、どの地方でも

そこにはご先祖様は生活をしていたんですね。
代々の家に住み次がれていて、そこが故郷でもあれば
なおさら、昔の言い伝えもあることでしょう。

核家族化も進み、引越しも
手軽に行えるようになったいま、

その地に居を構えても、
以前のように、その地の歴史を知ることも
少なくなったということでしょう。

敵味方を超えた人間味を
この住職に感じ、
感慨に浸り、

これからは
「今日の売り出しなんだっけ?」と変わらず思いつつも
いつものその風景が
すこし違ったものになるかもしれません。