もうすこし、「仕事が耐えられない」というあなたに伝えたいことがあります。
ちょうど、前回の「仕事が耐えられない・・」を書いた直後に、普段みない番組をみて一瞬手がとまったので、何かあるかな?自分がすべきことが・・・と考えました。

前回読まれていない方はこちらからどうぞ!仕事が耐えられないというあなたへ

先日確か出勤の前にフトNHKの番組「ハートネット」のたぶん再放送のような番組を、ながら見していました。一度飛び降りたことのある男性もコメンテーターとして登場していた番組です。彼が何を話していたか思い出せません。(くやしいです!)

若い女性の方が、自分のことを両親が認めてくれないことに悩んでいる、そうした悩みがテーマでした。確かイラストが上手な彼女はネットで沢山の友人がいる。そうした「作られた本当の自分ではない自分を装っている」から友人がいてくれる、とそんな考え方の彼女でした。

そして、実はわたしにはほんとうの悩みを打ち明けられるひとがいない、ということに悩んでいる。悩みとはご両親が「わたしを褒めてくれない。」ということです。彼女は何かよいことをしてそのことを両親に話しても、とてもそっけないことが悲しい。どうして母も父もわたしを褒めてくれないのか?わからない。

その悩みは誰にも打ち明けられない。打ち明けられる人がいないことにも悩んでいる。こうした悩みを抱えている若者が多いからこうしたテーマで番組がつくられたのだと思いました。あなたも似たようなところがありますか?

出演されていた作家の平野啓一郎さんはそうした悩みの方々に、「分人(ぶんじん)」という考え方があるよ、と小説でも語られこの番組でもお話しされていました。

分人(ぶんじん)という考え方は、自分の中身にあるいろいろな要素、たとえば、親子としての子供の部分の自分、学校での生徒の部分の自分、クラスメートとの友達の部分の自分、塾での生徒の部分の自分、ネット仲間との部分の自分・・・を円グラフでの要素のようにわけて考えていくものです。

ひとりの人間にはいろいろな要素があっていい、という考え方です。統一する必要はないという考え方です。そして、すべての要素が満たされている人というのは少ないかもしれない。

でもたとえば、両親との仲がよくなくっても、友達同士の仲がいいとか、先生との仲はよくないけれど母親との仲はいいとか、そうした分人のイイ部分を自分で認めてあげることで、生きやすくなると平野さんは言っていました。

どこかの要素がよければ人は持ちこたえることができる、とも平野さんはおっしゃいます。全人格的にまとめると逆に苦しいのだから、「分人」でいいんですよ、と語られていました。

わたしも、こうした考え方に大賛成です! むしろどこかに悩むタネがあるから人間なのですし。み~んな悩みを抱えているんです。完全無欠のひとは一人もいない。悩みを解決しようと無理をせずに、イイ部分、あなたのイイ分人の部分を充実させたり広げていくことでイイと思います。

仕事が耐えられない。ならば仕事以外のあなたの分人でイイところはないですか?そこに気づいてみませんか?

ホントの悩みを打ち明けたいかもしれません。でも、打ち明けられる人がいまいないだけで、いつか現れるのかもしれません。実は、わたしは「わたしの本心はだれにもわからないだろうナ」と思って日々生きています。

少し難しいことを言うと、自分自身でも自分のことはわかっていない。自分がわかっていないものを妻や親や兄弟やましてや他人が理解できるハズもない、と諦めている。そうしたところがあるんです。だからといって不幸せとも感じていません。諦めているから悩まない、だから幸せ。不思議ですか?

松田龍平さんと松田翔太さんのお父さんで俳優であった松田優作さんは生前に何かの本でこんなことを書かれていたと思い出しました。ハリウッド映画に出演されて直後くらいに語られた言葉のようです。

「家族の中にいても全部演技なんです・・・すべてが。」と。

何で読んだかさだかに思い出せません。でも、そのときは、「俳優って大変だな~」と普通におもっていました。今回の平野啓一郎さんの分人ということばで突然思い出し、そしてハタと突然合点がいきました。

「すべてが演技・・」と言われると、さみしいような感じに受け取るかたもいるでしょうか?わたしには正解をドンピシャで話されたことばに思えます。平野啓一郎さんの「分人」そのものを言い当てていたと私は思います。演技というよりも相手次第で臨機応変という意味合いがあるのだと思います。職場でも家庭でも。

たまに、「(夫婦)恋人どうしならすべて自分の悪い部分をさらけ出すのが当たり前・・」といったことを語る有名人がいたりします。結構主流のような考え方でしょうか?こうした無責任な言葉をうのみにすると悩みが生まれます、たぶん。

そんなことして何になるんでしょうか? ゴミくずのようなものを相手の口に放り込むようなことではないでしょうか?3歳くらいまでの幼少期に逆戻りしていませんか? 放り込まれる側がどんな思いをするかよりも、自分の気分が大切なのでしょうか? 先の松田優作さんはたぶん決してそうしたことはしなかったハズです。

あなたは、放り込まれるのは、たとえ愛していてもイヤではないですか?

今回のNHKの番組での悩む彼女の解決策は、たぶん、ひとから悩みや相談を自分が受け取るにはどうしたらいいのか?というところにこそ糸口があると思います。 誰かから打ち明けられる人になる、自分が受け止める人になれるようになる。彼女自身はまだわからないかもしれないけれど、そこに解の糸口があるとわたしは思います。

微妙に?話が脱線しました。1個のホントの自分というものが、あるのかないのかはわかりません。魂とかアートマンというものがあるのか無いのかはどちらであってもいい。

真我(しんが)とかアイデンティティー(自己同一性)とかという言葉もはやっているようですね。真我(しんが)というのは学術用語ですらありません。最近のどなたかが作った造語です。
自我という心理学の用語に真理の真の字を自に置き換えた、素人っぽい造語です、たぶん。

自分の実際の感じで感じられないものは信じないほうがいいんです。たとえ、あったとしても。ないのにあると思ってしまうと危ないんです。間違ってしまうから。あるものを知らないことで不都合がないから感じ取れないんです。背伸びする必要も焦ることもいりません。

観察する検証することがキモになります。ちなみに、初期仏教では「ない」といっています。1個の不変で永遠のホントの自分というものは無い、という意味です。なぜか?すべては無常だからです。

わたしは、「自分のアイデンティティーって何んだろう?」→魂論→無常論と、徐々に考えが流れている途中かもしれません。そんなことはどーでもいい。番組での彼女の悩みの核心は、こんなところにあるのでは?とすこし考えてみました。

「1個の不変で永遠のホントの自分というもの」があると思うと悩むのではないでしょうか?たぶん、そんなものないですよ。もっと自由に生きていい。難しいことばになりますが、ホントの自分にこだわらないこと、です。自己実現とか自分探しは目的重視でさらっとやることです。目的というのは就活の場面とか・・。

「自己実現」とか「自分探し」というようなものは、一生懸命にやってはいけないんです!!わたしがハマった罠でした。変化を感じ取るならいいんです。一人であなたの心根(こころね)が喜ぶコトバを口癖にしたり、呼吸法を実践したり考えない瞑想をすると落ち着いて幸せになるように人間はできている。

考えない瞑想はむつかしいんです。とっつきにくいと思われるひとも多いと思います。普段の生活とは真逆の習慣をつくることだからです。だから、「らくらく瞑想」という無能唱元さんの方法もお勧めしています。

この考えない瞑想らくらく瞑想は全く方法がことなります。でも、幸せや成功を実現していくことができると私は考えています。結果が出ているからです。どのようなかたでも、あなたの幸せな状態を生み出す方法となる。

口癖だけでも人は一気に変われます。イイ意味でですよもちろん。口癖だけでも幸せになるんです!!!じつは、「幸せになる」ということではありません。「幸せでいる」というのが正しいんですよ、あなたの幸せにとって。

どん底から私が這い上がった方法なんです、紹介していることのすべてが。詳しくは、当ブログの「心を整える」のカテゴリーから1つ1つご覧になってくださいね。話を戻します。

演じることがよくない偽りごとと感じる必要はありません。いい演じ方をすることで、あなたの周りが幸せになるからです。そうした他人の反応をあなたの鏡として生きていくと、とっても運がついてきます。なによりもあなたには確実にご褒美が得られます。ひとが喜ぶと自分がうれしい、ということが徐々にわかってくるんですよ。

赤ちゃんを笑わせるために、おとながあやしたりおどけて見せることは、偽りでウソで人としていやしいことではないでしょう?
でも、疲れたならその自分のココロにも従っていく。やり過ぎはいけません。できる範囲でほどほどでイイんです!!(疲れたら当ブログのカテゴリーの「心を整える」の記事がきっとお役にたちますよ)

いろいろな分人で演じることに慣れると、自分が何者か?ということに気が向かなくなります。それでよかった、と思える日がくるのかもしれません。そうですよね?優作さん!