中学1年生の上村(うえむら)遼太さん(13)が遺体でみつかった事件で、先週のTBSラジオで永六輔さんは、
「悪い友達といい友達の区別がつかなかったんだろうと思う。昔は、悪い友達が近寄ってくると、ひとを見分けることができたけれど、いまの子供にはそれができなくなっているんじゃない?もっと遊ばないと・・・」とおしゃっていました。

(かなりお話している後で、事の本質をポツリと言われているのであって、軽々しくは聞こえませんでした。)

この日曜日のNHKの討論番組で、尾木ママこと尾木直樹さんは、「80%周りで大人で防げた問題。」とおっしゃりながら、「これまでの事件と決定的にちがうのは、あのイスラム国での殺害そっくりな残忍な殺害のしかたです。」とお話しされていました。

わたしは当ブログで以前お話ししましたけれど、イスラム国での殺害直前の映像の模様はきっと見ているひとに悪さをする、と警告しましたけれど、わたしが考えていたことは被害者心理の部分でした。加害者のようになりたい気持ちもあったのか?と、あの報道の影響をあらためて知った気持ちです。(過去の関連したブログは、投資家がお金よりも大切にしていること、からどうぞ。)

討論番組でジャーナリストの江川紹子さんは、いまの段階では事件の全体像はまだわからないけれど、いまわかっていることは、上村遼太さんのお友達が街でみかけたときに、顔にアザを作っていたことを知っていたり、クラス中のお友達どうしでかなり話題になっていたということ。

ほんのわずかな人たちだけが知っていたのではなくって、子供達はすくなくとも「どうやら暴力をうけているらしい」といったことをかなりの子供たちが知っていた。たくさんの子供たちが知っていた、にもかかわらず、おとなにそのことが伝わらなかった。そのことが問題だった、とおっしゃります。

子供の安全について取り組んでいらっしゃる宮田美恵子さんは、「いま、大人の世界と子供の世界が分断しているように思う。」理由は、親が忙しすぎて、子供のことに無関心になっていたり傍観してしまうから、という。
(日本こどもの安全教育総合研究所理事長)

筑波大学教授で犯罪社会学専門の土井隆義さんは、この事件では上村遼太さんの周囲のお友達のやさしさをとても感じた。島根から転校してきた上村さんはとても人気者でした。愛されキヤラだったと思います。なぜそうした子供が不良グループに近寄ったのか?取り込まれていったのか?

その中学にはこれまでにトラブルがなかった。トラブルがなかったからこそ取り込まれていった。原因は「愛されキャラ疲れ」があったのではないか?

精神科医の片田珠美さんは、加害者の少年が、ものすごい怒りと欲求不満を抱いているということ。その「ものすごい怒りと欲求不満」はその加害者となった少年が、過去で年上やチカラの強いものによって同じような暴力を受けていたであろうということ。そのはけ口は弱いものに必ず向かう。

いじめというのは、いじめる者といじめを受ける者との2者によって成り立つのではありません。見て見ぬふりをする傍観者と「もっとやれ」とはやし立てる観客の4層構造でなりたっている。といちばん手厳しい。

その後、番組ではSNS、LINE、バーチャルリアリティーといったものが、人間関係に与える影響の大きさについて取り上げていました。

子供同志、子供の世界であれば、傍観者から抜け出して手を上げて、「なにかおかしいです!!」と公言して目立つと、それをキッカケにして自分がいじめの対象になることを恐れる、といったことはありそうです。(私個人としては、あまりイジメられることに無頓着な性格なのですが・・)

では、大人はなぜ防げなかったのか?

いまの教育の現場では、先生はとても忙しい。授業が終わるとすぐ会議。土日も生徒からの連絡があれば対応しなければならない。休む暇がない。教員のうつ病疾患もとっても多い。先生は子供たちを親身に見てあげる時間がない。なので、学校のこどもは大人(先生)を信用していない。

いまの大学では、授業のテーマそっちのけで、LINEで学生どうしが自分たちのテーマを決めていって議論していたりするそうですね。尾木直樹さんは大学でも教えていらっしゃる。そこで、授業を進めるために、LINEで「既読」となっても返信したくっていいルールLINEでは議論はしないルールを作りました。すると授業を聞くように変わったのだそうです。

現実社会での友だちが極端に減った穴埋め。こころの空洞を埋め合わせるためには、LINEのようなバーチャルリアリティでつながりたい。

LINEはじつは、逃げ場がありません。ホット息をついてスの自分に戻ることができない。ホントの胸の内をLINEでつながっている友達に打ち明けることができません。だから、母親に相談する。人間の発達段階は、母⇒父⇒友達⇒社会といった段階があって広がりが育まれていくものです。それなのに、いまの若者は母で止まってしまっている。かなりヤバイ。

LINEで即返信しないといじめにあう。無視したい訳ではないけれど「無視したと思われて」いじめにあう。それが怖い。でしょう?

「無視したわけではないの。・・してたから。」と言えない。

こうしたことが言い合えないのならば、仲が悪くなってイイんではないでしょうか?

「無視したわけではないの。・・してたから。」と言い続けるときっと、

「うんうん、わたしもそう思っていたの・・・」とホントの友達ができるものです。

あなたもお友達もリアルで喧嘩したほうがいいんではないでしょうか?喧嘩というのは、言葉のやりとり程度のことです。気持ちが平行線になる気まずさを受け入れてみる。

素直に正直にしていって仲間外れになるんなら、仲間外れになってもイイんではないですか?

わたしのイトコも大学の先輩にもいまだに携帯もスマフォも持っていないというヒトがいたりします。かなり遅れている?

案外、職場でも変わり者かもしれませんけれど、ヘー気でふつうに仕事をしています。職場でいじめを受けているフーでもありません。周囲からはじき出されずに立派に社会人やってます

わたしはLINEやりますよ。かなり古い友人から「お友達りから離脱」されることもあるけれど、LINEやめたのかな?あまりつながってないし、勝手にしてくれ・・、と思います。

(そんな離脱した彼と何年ぶりかで居酒屋で飲みましたよ。)

前提として、「自分が送ったけど返信がこない」ことを自分は受け入れる。OKと心に決めておくこと。

気まずい部分もあるけれど、だからって気つかってみても、自分のいまをおろそかに生きる気もない。わたしはそうしてます。

いま気づきましてけれど、ホントの友人とはうちの電話で電話しあう。そんな抜けガケ、秘密の空間をあえて作る。わたしがいま生徒や学生だったらそうすることでしょう。手紙を手書きでしているかも。(こうしたことが永六輔さんの言っている「遊び」に似ているとおもいます)

抜けガケ、やりすごし(見て見ぬふりをすること)、KY

高校生くらいまではできないかもしれないけれど、大学生になったのなら、つながり切らない。(利害関係のない、または少ない学生時代までの間に胸の内が話せるつながりをつくるためにLINEではつかがり切らない。)

ちいさな痛みを感じてみる。そのかわりの心地よさ、すがすがしさも感じておく。

そこからはじめて自分のホントが分かり出すのだと私は思います。

LINE中毒のかたが聞いたら怒られそうなことを1つ。(LINEを朝から晩まで追いかけられるようにしてしまう方です。利用者のすべてのかたに向けてお話ししているのではありません。)

日に三度の食事をしっかりとることが健康には必要です。特に若いうちは。

食事とは現実での人との顔を合わせての会話です。

でも、LINEがメインの方々って、なにか人間のいうことを聞いたらご褒美をもらっている犬のように思えてなりません。ビーフジャーキーをお座りができると1つもらう。右回りをすると1つもらう。投げたボールをくわえれもってくると1つもらう。

ちいさな喜びで埋め合わせているダケ。でもきっとあまり埋まってはいないハズ。だから、中毒になるんです。

そのほかに栄養を取ていない、取らせてもらっていない調教トレーニング中の愛犬のようになってはいけません。

ビーフジャーキーは食事にはなりえないんです。人間ならばなおさらに。

大きな大事な栄養をそっちのけにして、ちいさな喜びでこじんまり満たされていることがすべてなのだと錯覚していませんか?

(病気療養中の方とか病を患っている方はこのかぎりではありません。もちろん今回の事件の周辺のかたがたに向けて責めたいのでもありません。)

尾木ママさんのおっしゃられるようなルールを作ると格段に使いやすくなるとだと私もおもいます。

話しをもどします。

いろいろな原因はあるでしょうけれど。ご本人ひとりで防ぐ手立てはあったと私は思います。

手立てを知っていたけれど、それを使わなかったのではないか?

「助けて!!」とあえて言わなかったのではないか?勝手なわたしの推測です。

今回の事件でいちばん強くわたしが感じていることは、亡くなった上村遼太さんは、母親と父親を愛し続けていた。自分が殺されても愛し続けていた。最後の最後まで純粋に無垢に愛していた。ということばかりが私には伝わってきます。だから一層無念でなりません。