この8/15に、NHKで稲盛和夫さんの経営手法に注目した番組が放映されていて、気になって、さっそく稲盛氏の著書を何冊か購入した中の1冊がこの、「働き方 なぜ働くのか いかに働くのか」という本です。
稲盛和夫さんは、世界的に経営者を指導されている、KDDIを創業されたり、日本航空を再生された方ですね。

稲盛氏は、若い頃、22~3才位までは、病気や不幸が度重なって、とても不運な人生を歩みます。学業も希望通りの学校に入学することができず、当時は死の病といわれた結核に中学生のころにかかり、ご自分のツキのなさに嘆く、そうした前半の人生でした。

大学も志望の医学部に入学が叶わず、工学部に在籍し、そこから気を取り直して猛勉強したのですが、就職がうまくいきません。今にも潰れそうな赤字経営で初給与が給与日に支払われない、そんな会社に就職してしまいます。

「なぜ自分にはこんなに次々と、苦難や不幸が降りかかてくるんだろう?この先の人生はどうなっていくんだろう・・。」と自分の運命を嘆いたということです。同期の社員が次々に退職する中で、家族や親せきから反対されて、稲盛氏はひとり会社に残ることになります。

そこで、これまで、嘆いていた氏は、たった1つのことで、その不幸な人生を一変し、大きく塗り替えることができた、といいます。
ただ、一生懸命に働くことで、苦難や挫折にしか回転していなかった人生の歯車が、よい方向に逆回転をし始めます。万病に効くのが、一層懸命に働くことだ、と言い切ります。

そんな、稲盛氏は、その最初の就職先で、1度退職しようとします。
ところが、というべきか、転職することに家族は承諾しません。今なら、「そんなところ辞めてしまえ」という方々が多いと思います。当時は戦後まもなかったこともあるでしょう。

「たった半年も辛抱し切れんとは情けないやつだ。」と認めてもらえなかったのです。そこで、稲盛氏は、「会社を辞めるのが正しいのか、会社に残るのが正しいのか」大変悩みます。

そこで稲盛氏が気づいたことは、確かな理由がなければダメだ、ということです。確かな理由、大義名分がなければ、会社を辞めてはいけない、ということに気づきます。ただ、潰れそうだとか、楽しくないといったことで辞めては、その後もろくなことにはならない、ということに気づきます。

漫然とした不満から辞めたのでは、辞めたために、かえって、悲惨な人生を送ることになる、と考えます。堪え性が育たないので、この現代の時代でも、想像のつくことですね。そこからは、グチを口にしたり、不満を抱くことをやめて、働くことに打ち込むことに決め、

働くことに、真正面から本気で格闘してみることにした、ということです。そのころ、ファインセラミックの研究で、寝泊りしながら、四六時中、昼夜を分かたず実験に打ち込みます。仕事が終わったら夜や休日に専門書で勉強をしていきます。

そのうちに、素晴らしい実験結果が出るようになりました。当時抱いていた、「会社を辞めたい」「自分の人生はどうなっていくのだろう」といった悩みや迷いがウソのように消えていた、ということです。それどころか、仕事がおもしろくて仕方ない、と感じられるまでになっていました。

こうした経験でわかったことは、こころの持ち方を変えると、取り巻く世界が劇的に変わる、ということです。好きでもない会社、好きでもない研究・実験。そこで、「仕事を好きになろう」と努めて思うことにしたのだということです。

仕事がたのしい!と思ったことはありますか?管理人は、努めて意識してグチはいわない、不満を口にしない、ことにしていますが、楽しくてたまらない、というところには至っていません。それでも、出勤時などは、楽しく、仕事中も面白くしよう、という気持ちでいます。

精神的ストレスも低くはない、食事のために休むといったことのできない職場ですが、イヤとは思わないです。今日はこうしよう、とか、こうしたら良くなる、効率的になるな、といったことを日常的に言いだしっぺになって、やっていきます。だから、楽しさも少しわかっているつもりです。話しを戻します。

無理にでも好きになろうと、自分に強いてしてきた研究・仕事が、やがて自分から積極的に取り組むほど好きになり、さらに、好きとか嫌いといった次元を超えて、意義を感じるようになった、ということです。
「天職」というのは出会うものではなく、自ら作り出すものなのだ、ということを実感していうということです。

こうしたことばに違和感を感ずる方も多いかもしれません。好きなことは先天的に好きなことで、好きでもないことを好きになることは、できないのではないか、と。たぶん、いまの団塊の世代(60才前後)の方々は、とても人口の層が膨らんでいた人々で、

そのころは、仕事を選ぶこともなかなかできない、そうした方も多くいたと思われます。国をあげて、地方の農家の若者を首都圏の工場の仕事に就かせようという政策もあり、とにかく、不慣れな都会で辺鄙な寮で暮らしながら、仕事に一生懸命励んでいた、方々です。

お仕事でそうした世代の方々と知り合いになったり、飲み会でお話ししたりすると、とても仕事を熱く語る、そういう方が沢山います。いまの職場でも、自分の仕事の専門分野では、休憩時間でも楽しそうな笑顔で話しています。

長く続けている人というのは、結構、どの仕事にでも、その仕事の中で楽しさを見出して、おもしろさを知っている、だから続けていく、ということなのだと思います。

稲盛氏は、充実した人生を送るには、「好きな仕事をするか」「仕事を好きになるか」のどちらかしかない、と言い切ります。

大半の人は、人生の門出を「好きでもない仕事」に就くことから始めます。好きでもない仕事では、不承不承、不平不満を持ちながら、グチ・文句の多い日常を送ることで、与えられた時間をもったいなく過ごしている、そうした方も多いのかもしれません。

仕事に悩んでいる若者に稲盛氏は、「仕事に恋をする」位に、好きにならなければ、充実した人生は送れない、と言います。仕事と恋?と疑問に思われる方も多いでしょう。わたしも、こんなにゾッコンになることができるの?

と思いながらも、そのくらい打ち込んだら、いまよりも遥かに楽しくて溜まらない心境になる、よし頂き、そうしてみよう、とこころを改めました。

そのためには、ちいさな成功に日々喜ぶこと
管理人は、ココがこの本のキモと感じています。

「実験をして思った通りのデータが出たりすると、うれしくてたまらず、ピョンピョンと飛び跳ねて喜んだ。」そうです。そのような、ささやから成功で、おおいに喜んでいく、そうした、ささやかな喜びが、次の仕事につながる、と言います。

管理人は、こころを改めて、この「ピョンピョン」を真似たいと思っています。(笑)でも、本気です。

京セラには、1人、中卒の従業員がいました。工場では目立つことはない。それでも、不平、泣き言は一切口にせず、地味に単純作業を続ける、そんな従業員です。その彼、「鈍な人材」であった彼が、「非凡な人材」に変わり、事業部長に出世していた、そうしたことを稲盛氏は知ります。

倦まずたゆまず、地道に誠実に、粘り強く努力を重ねる。継続する力ことが、仕事を成功に導き、人生を価値あるものにすることができる。

かたや、頭が切れる、仕事の飲み込みも早い、有能な社員がいます。経営者が期待をかけるそうした人材にも、目先がきくためか、すぐに仕事に見切りをつけて、会社を見限り、辞めてしまうひとも多い、といいます。

「つらく苦しいときこそシャンスだ、と考えてみる。苦難こそが、人を育ててくれるからです。」
こうした言葉は、よく言われていることです。

そう言える、やってしまうためには、
日常で、ちいさなことで喜ぶことに決めて、喜んでみること。すると、ホントに喜んでいる自分が現れているだろう、ならやった方がトク、と管理人は思いました。

人生では、ときとして失敗してしまうことがあります。
そのようなときは、けっしてクヨクヨと感性的に悩んではいけません。

唐突ですが、ヨゴのポーズというのは、こころと密接に関係しています。なので、カタチを大切にしますが、カタチが正しければ、どなたでも、同じような体験ができる、というものです。

両足を肩幅に開いて仁王立ちし、両手を天井に突き上げて、顔も天井に向けて上げます。この状態で泣いてみてください。悲しんでみてください。できませんから・・・。クヨクヨしそうになったら、思い出してやってみてくださいネ。得意の管理人の脱線から戻りますね。

「人生は失敗、間違いを繰り返しながら成長していくものです。
失敗していいのです。失敗をしたら、反省し、そして新しい行動に移る、そのような人は、たとえどんな窮地に陥ろうとも、後に必ず成功を遂げていくことができるのです。」