今月(2015年10月13日~)やっと夏休みを頂きました。ふつうなサラリーマンのご家庭に育っていれば、「なんでこんな時期に?シルバーウイークも終わっているのに・・」と思われる方もいるでしょうか?
わたしの仕事は不動産の設備。百棟以上あるビルや賃貸マンションの入居者からのクレーム対応をする部署で働いているので、365日24h無休な仕事をシフト勤務しています。
なので、交代で長期休暇を頂くことになっているからです。世界約60カ国で愛されるカジュアルシューズ【PIKOLINOS(ピコリノス)】
その休暇を利用して、10年くらい前から気になっていて、「いつかきっと行こう。でもいけないかな?」と思っていた神田日勝美術館に行って参りました。(かんだにっしょう)
「そういえば・・」と思い出したのが神田日勝美術館です。
空路羽田から函館に降り、登別、然別湖と3泊して最後に目的地の神田日勝美術館という行程でした。予想通り、道南(北海道の南側)は、紅葉はまだ早く、初日に目指した函館山ロープウエイもリサーチ不足も手伝って工事中。よく見かけるあの函館山からの函館の夜景はお預けになりました。(車で登ることはできるようです。)
五稜郭、登別の地獄谷も、然別湖でも観光客は平日にもかかわらず大盛況で、8割程度は台湾や中国、東南アジアの観光客であったことが印象に残ります。日本は成長期の国家のひとびとより景気が悪いのでしょうね。
降り立った函館空港で清掃員のオバチャンに聞くと、「台湾と中国との飛行機の直行便ができてから海外からの観光客が増えたの・・」ということでした。そんなオバチャンの言葉を身をもって実感した次第です。
神田日勝の絵はいまの2015年の若い方にはたぶんあまり知られていないことでしょう。美術好きなかたであっても。でも、神田日勝の絵はいまの若い方々にかなり響くハズです。共感して頂ける作品だと私は感じます。
(神田日勝美術館では写真撮影はできません。然別湖にあるホテル福原にはホテル内に美術館があり、そこに神田日勝の作品が展示されていて、撮影可能を頂いて掲載させていただきます。)
いまの若い方のご両親の常識。その常識が通用しない。時代の変化はめまぐるしい。親が若い頃に目指した生活のありようや価値観が通用しなくなったからです。そして孤立を恐れてみんなと同じように情報洪水に流されていく。
情報洪水には見当たらない、自分の芯の部分になる生きる目標や指針がほしい。でしょう?
神田日勝さんは、東京練馬区に生まれ育ちますが、8歳で北海道に移住することになります。お兄さんは東京芸術大学に入学され、神田日勝さんも子供の頃から絵が好きでした。自宅では農業を手伝い、なりわいは農業です。
でも耕作機械を使わずに昔ながらの農業をしていきました。そして農業の仕事を終えてから絵を描き続けていきます。
結局、どういう作品が生まれるかは、
どういう生き方をするかにかかっている。
どう生きるのか?
の指針を描くことを通して模索したい。
どう生きるか、と、どう描くかの
終わりのない思考のいたちごっこが
わたしの生活の骨組みなのだ。
神田日勝は32歳で亡くなっています。亡くなる病を得て入院します。それまではかなりたくましい元気な方でした。その病院から抜け出して描いた最後の未完の「馬」が見たかった。
有名な大家の絵描きで好きな画家がわたしにはたくさんいます。年を取ることでいい作品を残した絵描きもいれば、徐々に筆の勢いがなくなるひともいる。好きだった画家が高齢で衰えるとすこし残念な気持ちにもなりました。
絶筆となった未完の「馬」の実物に対面し、じっくりと今回見させていただいた感想。筆致はどこまでも力強く、絵の具が置かれていた部分は決して未完ではありませんでした。
若くして夭折されたからなのでしょう。
わたしは思春期のころに、自分の部屋の壁一面に新聞紙を貼り覆うようなことをしていた時期があります。なぜそうしたかったのかは自分でもわからなかった。
そんなことをしていたことも忘れていたのです。
社会人となり仕事に疲れ、毎日仕事に追われているそんな時、神田日勝の1枚の絵を書籍でみて目が止まった。まず、絶筆となった「馬」、そしてまるで「あの頃のわたしそのものではないか?」と思われた新聞紙の部屋で正面を見つめている男の作品。
言葉にならない。その神田日勝の作品の中に、たしかにあの頃のわたしがいる。
それからさらに何年か経過してなにかのタイミングでまた神田日勝を思い出し、関連書籍を読みふけっている。そして気が付くとその日が神田日勝さんの命日だった、ということがありました。それほど引き込まれたのです。
昨日貸切状態で見させていただいた神田日勝の作品を見終えて、仕事をしながら絵を描き続けている大学の先輩へ絵葉書を買い、神田日勝さんのつれあいの神田ミサ子さんの「自分をみがく」という書籍を買いました。
帰路空港でその神田ミサ子さんの「自分をみがく」を読んで印象深かったところ。
「平和の心」には興味があるし、知っているつもりでいるが、その心を持ち続けるのは、
極めてむつかしい。
お風呂に入り、「いい湯だな。これぞ平和というものだ。」などと心穏やかに、すっかり平和な心になっていても、
出てきた茶の間で子供達が騒いでいたり、夫の一言。あるいは妻の一言。その程度のことで、
たちまち平和な心はどこかへ消えてしまう。
平和問題というと国家間の争いのように思もってしまうけれど、
本当の平和の原点は、
一人ひとりのこころ奥深くに潜んでいる。
その平和なこころを持続するのは本当に難しい。
「自分が正しい」ということは、「相手が間違っている」ということだ。
みんながそう思っていると。争いは必ず起こる。
平和運動に身を捧げている人たちは、
そんなことに頓着なく、勝手きままに遊びほうけている人たちを、
「平和なこころ」で見ているだろうか?
わたしがココのところ感じていて言葉にできなかったことが言い当てられているように思いました。神田ミサ子さんからも教えられたよい旅となりました。
「そんなことに頓着なく、勝手きままに遊びほうけている人たちを、『平和なこころ』で見ているだろうか?」という言葉で我に返った思いがしました。平和でいられない自分を言い当てられたのです。
その我に返らせてくれたことばは、いまの時点でのわたしにとっての正しさです。
でもその正しさがまた邪魔をする。
正しさが平和なこころをなくすからです。だからといって、何一つ正しくない、と割り切ることもできないのが正直なところです。
人間はいつでも自分は正しいと思いながら生きています。非情なニュースを見ながら、自分はこんなことはできないと思い、悪人を見ながら自分の正しさを確かめているのです。
人間関係で悩む。悩みの種の人を悪人にして自分は正しいと思っています。わたしもそうです。そして、その自分にとっての悩みの種なひと自身も当然に自分は正しいと思っています。
じつは、自分は正しい、とおもうことが諸悪の根源の中にあるのかもしれません。
自分は正しくない。
そうしたことを思いながら生きている人はいるのでしょうか?
じつは、「自分は正しくない」と言い切っている、そうした方をわたしはお二人だけ知っています。ひとりは哲学者の鶴見俊輔さん。ことし7月に亡くなられました。
鶴見俊輔さんは「わたしは悪人です。」というかたでした。鶴見俊輔さんの「わたしは悪人です。」ということばの意味は、すこしわかっていましたけれど、今回の神田ミサ子さんのご著書でよくわかった気がしています。
ご自分を悪人とすることには、鶴見俊輔さんの思想の根幹にあったのでしょう。(ウィキペディアの内容のすべてが事実ではないと思います。興味のある方はその分ご自分で調べられてみてくださいマセ)
そしてもうひとりがアルボムッレ・スマナサーラさん。初期仏教のお坊さんです。初期仏教というのは日本の教科書にでてくる小乗仏教です。別名テーラワーダ仏教(長老の教え)とも言われることがあります。
わたしは日本の仏教の中の密教に興味があった時期に「では、釈迦自身はどのように考えたり語っていたのか?」ということが知りたくなって、そんな昔の言葉は後のひとびとによって削ぎ取られたり変形されたものしかないかも・・と感じて諦めていたころに、
運良く知ることができました。初期仏教では人間の感じ方を簡単な方法で自分で知ることができます。するとこれまで思っていたことがどのようなのか?がわかりだします。ふだんのような脳の使い方ではないあたらしい回路を自分の脳の中に形作る。
ふるい、これまでの思考の仕方は言ってしまえば悪人の脳の部分なのだとわたしは考えました。なので悪人としてそれを乗り越えることを日々教えているアルボムッレ・スマナサーラさんもあえて悪人と自らいうひと、とさせて頂きました。
アルボムッレ・スマナサーラさんは、人間の心を観察するプロ中のプロです。日本の有名な心理学者も教えを乞う方なんですよ。若いたかであればイケダ・ハヤトさんとことし対談集を出版されていますね。人間を卒業することをご本人の著書でくりかえしお話しされています。
アルボムッレ・スマナサーラさんは総合して考えたり俯瞰(ふかん)して考えることを否定されます。複雑にせずに単純なカラダの動作、短い細切れの簡単ないまに集中すると自分が見えてくる、とおっしゃります。(自己流ではうまくいきません)
今回の旅で印象に強く残っていることの1つには、日本の歴代首相の三木武夫さんの色紙に書かれていた内容。然別湖のホテル福原の館内にある美術館にさりげなく展示されていました。
他人を信じることができなければ人生を成立させることはできない、という意味なのだと思います。三木武夫さんが総理大臣になる前の直筆。渋谷のかつての私の職場の近所には三木武夫さんの私邸跡があったことを思い出しました。
いまの若い方々と同様に三木武夫さんも悩まれた。悩まれたからこそ日々「信じよう」と努めていたにちがいありません。わたしのいま足りないものでもあるからこそ、胸に突き刺さった言葉なのだとおもいます。
神田ミサ子さんのいう
「本当の平和の原点は、
一人ひとりのこころ奥深くに潜んでいる。」
真摯に働き仕事の合間に趣味ではない画業を全うした神田日勝のつれあいの神田ミサ子さんもひたむきに生きられていることでしょう。いつかお会いしたいと思った旅でした。