30年ほど前までの日本であれば、大学を卒業する人というのは、若者の内の30%ほどで大学に入学するにも大変な競争があり少数派であったので、大学の卒業証書があるだけで、会社に入ることは比較的簡単でした。学生の側でもいまのようなネット情報もないので、出たとこ勝負でもありました。

たぶん、学生さん達も、いまほど深刻には就職を考えていなかったと思います。どのような学生でも会社勤めするのは当たり前で、たとえ第一志望、第二志望、第三志望に落ちまくっていても、どこかの会社に就職したのです。

このところの就職の”狭き門化”の一番の原因は、企業の経営者側のコスパ最重視による人財の厳選化にあるとわたしは思っています。一種のゲームのようにすら私は感じます。同じ月20万円を支出するのならば、最大の効果を当社に与えるように!と経営陣から採用担当者は脅かされている。会社の大切なお金を無駄金にすると自分の首が飛ぶ。

なので、とってもシビアに、ミスコンのように「何千人の中から選りすぐりのこの1人を選びました、社長いかかでしょうか?」といったことを社内の役員室で説明しているハズです。そして、「よくがんばった!」と言われたい。自分の首をつなげたい。リストラの対象に自分がならないために。

費用対効果を最大化することを採用の場面でも厳しく実施していくことは、景気が良くなったとしても変わらないだろうと私は思います。日本の金の価値(為替としての円の価値およびインフレによる日本円の価値)が下がったとしても、イイ人財は取り続けたい。

「景気がよくなったから、多少選考基準を下げてもいいよ・・・」とはなりません。選考の厳しさはかわらないでしょうね。一度デフレ経済の中でシビアに買い物することに慣れて賢くなった消費者は、微妙な変化に敏感で、コスパが下がったことにあるときピンとくると、常連として足を運んでいたファストフード店に簡単にソっぽを向ける。こうしたこととかわりません。

一方の学生側の人々はどのように考えているのかといえば、「なるべく沈没しない船に乗り込みたい。沈まない船っていうのは、みんながイイと思う船(会社)にちがいない。」ということで、CMや新聞や就活の特集に載っている雑誌でランキングされている有名な企業に狙い撃ちしてエントリーしていく。

いまの大学の入学試験のハードルは相当に下がっています。競争が厳しくない。でも、昔の名声の残像・余韻があるので、「・・大学なんだ!すごいね!」という第一印象は持たれます。なので、当の学生さんの勘違いがはじまります。

少子化のために大学側の入学予定人員確保は厳しい。高校卒業生の全体のパイはどんどん小さくなっている。そこで、予定人員を確保できないと、学生数が少なくなってしまうと大学の存亡に関わってくる。そんな理由で相当に入試のハードルは下がってきました。

おなじ大学名であっても、「コレがオレの後輩?」と企業の先輩社員が首をかしげたくなるような学生さんがその大学の卒業生に混ざってもいる。企業の採用側は、もちろんそうしたことは熟知しているので、より採用の基準をあげている。

運動会での徒競走で順位をつけない。ゆとり教育をしていく。そうした流れの中で、「大学名による選別はしない」ことがよく言われるようにもなってきました。

そこで学生さん本人が、「大学名の選別はないから、わたしも大企業に入れるようにがんばる。キャリアセンターの職員もそういっているし・・」と上位校以外から超有名企業ばかりにエントリーをし続けることもかなり多いとわたしは推測しています。話しがすこしかわります。

超有名な大企業の人事部門へのサポートがビジネスになっていることをご存知でしょうか?

”○本の△事部”で検索すると、そのビジネスを簡単に知ることができます。じつは、多くの企業の採用への支援はビジネスになっており、2014/12/20現在のそのビジネスの会員数は70,929人。企業の人▽部の会員数です。

かなり横並びで同じような方向をたくさんの採用担当者が向いていることはわかりませんか?

ココに厳しい採用を突破していけるヒントがあります。

2016年度の新卒者に向けた採用側からのコメントでは今年も、「自分を演ずるような装うような学生は欲しくない・・」といったことが、マコトしやかに言われていますね。”正直であってほしい”という採用側の希望が露骨にわかるコメントです。採用が簡単に進められるからです。正直に言ってくれると、簡単に落とせるからです。ラクがしたいんです自分が。

落ちていく学生の将来よりも自分の立場しか見ない。だからこそ、そうした無責任なことを公共のネット情報で、恥ずかしげもなく言ってのけることができるのだと、と私は思います。表向きはなんとなく賛同を得られるように煙をまきながら。

適性を正しく判断する。偽りの自分を演じていては、その会社で長続きできない。などとよく言われていますね。でも、演じていないサラリーマンなんていないんですよ。社会で生きていくことも企業で働くことも個人の本意なんてちっぽけなものを大切にしてはいません。

では、就職の場面では、どのように立ち居振る舞っていけばいいのか?

企業側が求める視点で、自己紹介をし志望動機を書いて話していくんです。当たり前なことです。わたしは、どのような面接の場面でもそうしてきましたし、仕事に就いてからでも会社が望むことをしています。会社で自己実現を図ろうとも思いません。そんな振り幅のちっぽけな人間になりたいとも思ったことがありません。

またもや話しが脱線します。

京都大学では、瀧本哲史さんが、厳しい世の中を生き抜くためにとっても有効な考え方を学生さんに講義をしています。その講義の内容は書籍となっていて、わたしはカリスマファンドマネージャーの藤野英人さんの勧めで読んでみました。(すこしウソです。藤野英人さん本人にお会いしたことはなくって、藤野英人の書籍で紹介されていて読んだんですが・・)

瀧本哲史さんの”武器としての交渉思考”には、こんな問題があります。

就職活動の面接ではよく「自己紹介」や「志望動機」の説明を求められます。しかし実際には、「学生時代は合コンとゲームばかりしていました」というような”本当の自己紹介”や、「給与が高くて休みが取れるからです」というような”ホントの志望動機”を説明すると、落ちてしまうのが普通です。

それでは、就職活動ではどのような視点で自己紹介、志望動機を述べればいいでしょうか?(考える時間3分)

瀧本哲史さんよると、

「就職の面接では、”本当の自分はこういう人です” ”本当はこういう理由で御社に入りたいんです”とは言ってはいけません。

面接官もそんなことを聞きたいと思っていません。

だから、『ウソ』といっては言い過ぎですが、企業側が求める視点で、自己紹介、そして志望動機を説明しなければなりません。」

エントリーシートをいくら送っても落ち続ける学生に聞いてみると、このことについてまったくわかっていない事がよくあります。(京大生ですらこうですから、こうした学生さんはかなり多いとわたしは推測しています。逆に、上位校卒でも大したものでもありませんネ)

彼らは、『本当の自分』『本当の志望動機』を書かねばならないと思い込んでいる。だから落ちてしまうのです。

そうではなく、エントリーシートならば、『企業が自分を欲しがるように、どこがアピールポイントになるかを考えて書く』ことが大切です。

採用側が欲しくなる理由を、あたかも自分の志望動機であるかのように『偽装』して話すことが大切なわけです。」

としています。

こうしたことは昔は常識でした。バイトなどの色々な社会経験があったり周りの大人から学生時代までに学べたからです。TPO(Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合))に合わせて自分を装うことを昔の人々はあたりまえのようにしていました。

ある程度の自己分析は必要でしょう。社会経験のある方ならば、学生さん以上に頭が熱くなるほどノートに書きながら、なぜ会社を辞めたのか?辞めたいのか?どこが一番のイヤなのか?

一番大切にしたいことは何なのか?給与額の最低ライン、勤務時間の最低ライン、通勤時間の最低ラインなどはどこなのか?といったことを徹底して確認していくことも大切です。

でも、新卒の学生さんというのは、そうしたことはわからない。なぜなら経験してはじめて実感できることだからです。未経験のうちにコンをつめて自己分析してみても神経症を患うだけです。なにも悩み事がないのに悩もうとしているダケ。厳しすぎですか?悩む必要がないのならば悩まない、でいいんです。

(悩みたくないのに悩んでしまうのが人間です。正確には、使うべき頭の使い方ができないことが問題です。考えなくっていいことを考えてしまって、いましなければならないことができない。そうした状態を早く脱出する為に効果テキメンなのがヴィパッサナー瞑想、気づきの瞑想法です。眠っていたあなたの能力がドンドン開発されるハズです。わたしはこの瞑想で人生を変えました)

あえて断言すると、ホントの自分というのは、学生時代にわかるものではありません。そんなちっぽけではないんです、あなたは。

あなたは人生の山の裾野にまだいるんです。裾野にいるのに高みから下界の風景はどんなかな?と思い描いていませんか?

山を1歩1歩登っていくと自然に見える風景は変わるんです。あなたの視界がひられていくんです。3合目では3合目での見え方があり、5合目には5合目の眺めがあります。おなじ5合目でも人それぞれに見える景色の感じ方がちがってもいい。わたしはこのルートで頂上にいってみたいとなってもいいし、みんなとワイワイ一緒の山道を登ってもいい。

1合目まで歩いたからこそわかることがある。

3合目まであるいたから、分かること、あらたに知りたいことが生まれる。

5合目に至って、ココですこし周りの風景を味わいたい心境になる。眺めの素晴らしさに感動することもある。

歩く、登ることで見え方が変わり考え方も気づきも変わるんです。立ちすくむとあなたの周りの風景は変わりませんし、頂上がどこなのかもわかりません。下界を見下ろす爽快感も達成感も味わえません。じつにモッタイナイ。

どこにも登りたい山がない?

という方がいるでしょうか?あなたはただ、歩きたくないんでしょう?

社会経験のあまりないうちには、そのような自己分析を早々に終えて、相手の研究をしていって、偽装していく。

最近は「本当の自分がわからない」といって悩む方がとっても多いようですね。TPOで普段の日常で偽装することをしてきていないからです。作家の平野啓一郎さんがいうところの「分人」とは、TPOに合わせていくことです。ホントの自分などにこだわらないのがイイんですヨ!永遠の魂とかっていうものがありそうだなと心根で信ずるとドツボにはまります。そんなものないからです。

自分の本当。本当の自分。

そうしたことは大切に考え込まないことです。

生きながら、何かの経験をしていって自然にわかってくるようなものだからです。

度を越して考え込むことは、前を向いて歩く必要があるのに、いつも自分の足跡を振り返ることに似ています。
数歩前に進んでは、後ろを振り返って、また数歩歩いては後ろの自分の足跡を振り返ってみる。

そんなことになっていませんか?

全然楽しくないんではないでしょうか?歩くこと自体が。

人生は歩くことがたのしいことであったり、動きながら風を感じる楽しさに満ちているんです。はなしを戻します。

では、就職活動の場面で具体的には、どのようにして書いたり語るのがいいのか?

その答えはあなたが生み出すしかありません。

学校の試験の解答のようなものはありません。

ココが社会に出ることと学生時代との決定的な違いであり関門です。

解答のようなものは出回っていますが、それを鵜呑みにして工夫を怠り偽装していかないと、「コイツは自分で考えられないな。仕事を任せられないゾ」と落とされます。

こうしたことは簡単に見破られるんです。なぜなら、何かの種情報を見たあなた以外の誰かもおんなじことを言うからです。なぜ落とされるのか?なぜなら、仕事につくということは、あなたには世界にたった1つのポジションが与えられることだからです。学生までにはこうしたポジションはありません。ひとりの学生、生徒でよかった。

なのに、だれかの解答を試験の解答を求めるように探すだけでそのまま社会にでるとどうなるか?

野球にたとえるとあなたは何何チーム(会社)のセカンドのポジションを任されます。打球がセカンドにきているのに、そのまさにあなたが守らなければならないときに、あなたがとなりのショートの選手に顔を向けて「このボールはどのように取って、どこにどう処理したらいいんだっけ?」と聞くようなことになる。

誰かが考えた解答ばかり追い求めると仕事ができるようにはなりません。

学生の頃のように試験の解答があると勘違いして追い求めると、結果社会に出てもこんなセカンド選手になってしまう。だから採用されることはないんです。

「この学生を採用しなければ、うちの会社が損するかもしれない。」と採用側に思わせる。そうしたことが考えられると就職後の仕事の場面でも活かしていくことができます。

ウソと偽装は違うんです。

事実とは全く違うことを「していたこと」にするのはウソ。

ウソは自分の得のためだけで偽ること。

自分はいま楽しくないけれど、目の前に赤ちゃんがいたら、にっこり笑ってあやしてあげるでしょう?
これって偽装です。

自分の本意ではないけれど、相手の立場をわかってあげて、そのために自分がどうしたら喜ばれるか、で立ち居振舞う。そんなにむつかしく考えることでもありません。相手の視点でウソはつかないで自分を営業して売り込んでいく、でイイんです!!

うまくいかなかったら、簡単に原因を見つけて、すこし改めて再チャレンジしていく。そうしたことを繰り返していって、なにかの手応えを感じ取って、徐々に自信をつけていくことができます。がんばってくださいネ!大丈夫デス!!!!