このところ、ココ東京周辺では電車への身投げがヒンパツしています。電車の架線事故も重なって影響を受けた方も多いことでしょう。
わたしも通勤まぎわでいつもの電車を乗り換えたそんなひとりです。人身事故はこの10年以上の間にニュースにならなくなってきました。あまりにも多いからでしょう。夏休みからいよいよ学校がはじまります。
とってもユウウツな生徒さんもご覧になっているでしょうか?
今回は生徒の方で2学期を前にして悩んでいる方に向けて書かせていただきますネ。
「なぜ自分ってこうなんだろう?」と思うことがあるでしょうか?
わたしは、中学・高校生のころに、いつも閉じこもっている自分には気づかずに、「なぜ自分ってこうなんだろう?」ということも思わずに、ただただ毎日が嫌いでした。
その頃には、イジメの標的になったことはありません。(小学生1年とときには担任の先生にイジメられていた。イジメがあることを黙認されたことがあります。)
もしもあなたがいまイジメにあっているのならば、学校に行かなくってもいいんです。ご両親に話したことがないもならば、ココで大声で叫ぶ。大声で泣く。必ずしてしてください。いいんですヨまわりの人がどうなってもイイんです。
海で溺れかけている、命が危ないときに大声で助けを呼ばない人はいないんです。イジメも命を落としかねないから叫ぶんです。おおごとにしてください。
おおごとにしていくことで何かが変わる。じっと耐えると、黙っていると根っこを根こそぎ抜き取られかねません。イジメはどんどん過激になるのだとおもいます。
大声で叫んでみても、万一だれも味方になってくれないときには、東京シューレ を訪問されるのがよいとおもいます。イヤならそこ(学校等)に行かないでいいとわたしはおもいます。将来というのは今と地続きになっています。
いま楽しいことがないと明日たのしくなれません。いま楽しいことが1つもないかもしれません。でも必ず楽しいことがあるんです。それを知ること。そのことを別の場所の人に出会って知ることが出来る。すこし元気になれると思います。すこし元気になるともっと元気になれます。トッカカリは重要です。
世の中には楽しいことがない。友達もいましたけれど、ホントウの自分を打ち明けることもできない。いま思い出して思うことは、ソモソモいまの自分がなりたい自分ではなかった。自分が嫌いだったのでしょう。自分が嫌いだといくら楽しいことがあっても楽しめません。わたしはソウでした。
「自分がなりたい自分」というのがどういう自分なのかがわからなかった。そんなときにタマタマであった本。
「自分が「たまらないほど好き」になる本―「自己創造」の絶対ルール (知的生きかた文庫) 」はわたくしが10代の頃に読んで、とても役になった本のうちの1冊です。
正確には、「自己創造の原則」という本でしたが、いま出版されているこの本は、題名を変えて文庫で手に入れることができます。 高校生の頃、わたくしはとても憂鬱な日々を過ごしていました。
何も自分から主体的に行動することができなくて、思い通りにいかない、歯がゆい、無気力な生活を送っていたと思います。 思春期のころ、何をより所に生きていけばいいのか、全く見えないときに、偶然手にした本でした。
こどものころから本が好きというタイプではまったくありません。夏休みには読書感想文の宿題がありますよね。いつも母に「本読んだの?」と言われるくらい本嫌いでした。ちいさなころは外で友達と遊ぶことが好きな子ども。本をじっとして読むことは嫌いなタイプでした。
この本を読んでいくにつれて、実は、自分にはやりたいことがあるのに、そうしたことに怖気づいている、そうしたことがわかりました。
何かを恐れて何かから逃げようとしている自分の心のありように気づきます。
行動を起こすたびに、
その行動の裏にある、動機となる感情、こころの姿勢、こころの信念
を強めてしまう。
ということを知りました。
どういうことなのでしょうか?
なにもしないことも行動の1つです。(こうしたことを初めてわたしはこの本で知りました。「そうだったのか!」と)
たとえば、何かの失敗の経験からの不安感で、外出を拒んで、家にとじこもる。すると、その不安感がふえていって、不安感が強まっていって、ますます、家にとじこもるようになる、ということです。
不安感から、「外出を拒んで、家にとじこもる」それを毎日繰り返すと、不安感が増して、1日1日と不安感を強化してしまう。その不安感はそれから恐怖感に変わっていく、そうしたことがわかりました。
たとえば、何かの用事で外出する。そんな簡単なことも、玄関の前で扉を開ける前に、不安感がよぎる。だれかから見られる不安。近所のだれかに会ったときにあいさつできないだろう。あいさつしないと嫌われるだろう。
嫌われると次の時には嫌いな眼差しで責められるだろう。その「嫌いな眼差し」で自分は傷つくだろう。
ならば、外にでてみてもイイことなどないかもしれない。玄関の前で扉を開ける前にそんな不安が想像が頭の中をグルグルめぐって、なにもしていないのに疲れていって気分がめげていく。なにもしていないのに気落ちしている自分がよけいに嫌いになっていく。
なぜそうなるのか?
心理学者が分析してその改善策をわかりやすく説明してくれているということは、どのような人間にもそうなる部分がある、ということです。おちいるプロセスには法則があり、回復改善する方法もある。
自分だけが特別なのだと思わなくなれるだけで、ホットしたことをわたしは思い出します。
自分の本心を大切にして、素直に実行していく。たとえ1回であっても実行した瞬間に自分を好きになっている自分に気づけました。
たとえば、外出して買い物をする。レジでもやりすごす。1日であっても挑戦すると、自分に1つ自信がつきます。自分を信じることが「自信」ですよね。3ヶ月くらい挑戦していくとかなり自分が変わっていることでしょう。
「読書」で終わらせると全く効果はありません。小説など読むだけで楽しい本もありますけれど、実行するための本です。こころにひっかかる事をいくつか見つけて「やっていく!」と自分に誓うこと。
聖書には、身なりをかまわない。と書かれています。わたしの悩みドコロでした。身だしなみはするけれど、なにを着るか?ということには聖書の通り無頓着にしてきました。
でも、ファッションに興味を持ってみてもいいのだと思います。明るい色の衣服はじつはまわりの人の気分をよくすることがあります。これまでに興味を捨てていたことの中に好きなことや楽しみの可能性があることもあります。
わたしは、ブランドものに興味はありませんけれど、古着などは好きになりました。色のコーディネートで他人を楽しませることがあります。楽しみはたくさんあったほうが人生は楽しめます。
こうしたことをすると自分のありようがとってもよくわかりました。この本を読むか読まないかで、自分の中にある素晴らしい可能性が生かせるか、ダメになるかが決まる。ホントでしたヨ。