就活での「尊敬する人は誰ですか?」という問いに、わたしならば「緒方洪庵」と答えるでしょう、と前回のブログで書きました。女性の場合には、女性を尊敬しているほうが望ましいのですが、いまだにイイ人物が思い浮かびません。

バリバリ仕事をしていくことを希望している方々であれば、イギリスで首相経験のある女性などを選ぶ方もいるのでしょうか?

私は男性なので男性で歴史的な偉業をされた方を選びたい。尊敬する人物ではメジャーとなってしまった「坂本竜馬」とか、伝統的な「野口英世」は選びません。理由は、「その他大勢から抜け出して頭を飛び抜ける」ことが、どうしてもいまの日本での就職では必要だからです。

「それでも、坂本竜馬が好きだから・・」と言いたい方もいるでしょうか?採用の場面というのは、採用側が何を考えてどう評価しているかを考えていく必要があります、としか私には言えません。

緒方洪庵を先日のブログで紹介していたこともきっかけです。気になりだして、すこし調べました。普通に調べて終わりたくないので、伏線をしらべていると司馬遼太郎さんに行き当たりました。

司馬さんが小中学生に向けて遺言のように記した著書の「21世紀に生きる君たちへ」という本が気になりいま手元にあります。

司馬遼太郎さんの作品は、テレビの大河ドラマに度々なっていて最近ではNHKの「坂の上の雲」が放送されましたね。いまの日本人で坂本竜馬を知らない人はいないでしょうか。その坂本竜馬という人物を初めて新聞に連載することで世に知らしめた方が司馬さんです。

その司馬さんが書かれた「21世紀に生きる君たちへ」を少し抜粋します。

「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。

そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、

それに依存しつつ生きているということである。

さて、自然という『不変なもの』を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

人間は、 繰り返すようだが  自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。

このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

人間こそ、いちばんえらい存在だ。  という思いあがった考えが頭をもたげた。

二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。

つまり、わたしども人間とは、 自然の一部にすぎない、 というすなおな考えである。・・・

おそらく、自然に対しいばりかえった時代は、二十一世紀に近づくにつれて。終わっていくにちがいない。

・・・『人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。』

・・・この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分を広めてほしいのである。」(以上 抜粋)

とても純粋。いまの社会では浮いてしまいそうなことばと感ずる方も多いと思います。

社会に出ていくと、「そんなきれいごとでは生きられないヨ!」といったことは、わたしなりにわかっているつもりです。

それでもやはり、戦争体験されてきた、とても人気の作家でおられた司馬遼太郎さんの言葉です。こころに浸みる名作を多作された方です。その司馬さんが言っているからこそ、味わい深いとわたしは感じました。

流れゆく速度がどんどんと加速していく現代では、変わらない事や普遍的に大事な根本を見失いやすい時代であると、日ごろから私は感じています。変わらない本質が実はもっとも大切だという事を、司馬さんからあらためて教えられました。

自分を見失いそうなときに、お勧めしたい! 絵本のようなに大き目な、多分、図書館であればキッズコーナーなどにありそうな本です。立ち読み程度で読み切れる平易な文章です。

実は、この「二十一世紀に生きる 君たちへ」には、緒方洪庵について書かれている部分があります。(やっと話がつながりました)

司馬さんが、遺書のようにつづられたこの本には、日本のこれからの方々に向けて緒方洪庵の素晴らしさを知ってほしいという思いが込められています。

日本人に向けてたったひとりの尊敬する人物を揚げるなら誰であろうか?と司馬さんは考えました、たぶん。ひとりをあげるならば、「緒方洪庵がいい!」と司馬さんは思われたのだと思います。

わたしが、緒方洪庵について調べていき、結果一番こころに響いたコトバは、じつは司馬さんのこの「二十一世紀に生きる 君たちへ」の、なんでもない一文にあります。

「人間は、人なみでない部分をもつということは、

すばらしいことなのである。

そのことが、ものを考えるばねになる。」

という一文です。

少年時代の緒方洪庵は病弱でした。生まれつき体が弱く病気がちで、塾や道場をたびたび休みました。病弱である自分に歯がゆかった。この体、何とかならないものだろうか?と思った。

わたしは、高度成長期の日本の就職事情というものが、ひとなみなこととしたならば、いまのこの頃の就職事情というのは、ひとなみでないとも言えると思います。

そこでメゲルと話は終わってしまいます。つまらない。あえて、そこをばねにしていくしかない。

自分の弱点といったことにこそ、そのひとの生きがいとかやりがいに転じていく鍵がある。そのようにわたしは読みました。ひとなみではない就職事情の今日、しとなみでない何かを感じている方々に向けられているコトバです。

やはり、時代が変わると思います。おおきく。

ひとなみでないことを、じっくりと、「では、どうしていくか」と考えていくと、新しい光がみえてくる。そのようなものごとのかんがえかたが一番大切なのだと、司馬さんは、21世紀の人々に言いたかった。

「尊敬する人物」というのは、人生の場面場面で、読書の流れの中でも変わっていくものと思います。わたしはそうです。一生かわらない人も多いでしょうか?

就活といういまの場面で、「こういうひとになりたいな」と心から思える人を、伝記などから調べていく。時間がないですか?どうせ課題の1つなんですから、少し突っ込んで調べていく。いまの時点でのできる範囲でいいんです。

求めていって、やっと見つけられると、一種の感動を感じるものです。忙しく会社選びに奔走していることとも思いますが、急がば回れということわざの通り、自分で実感していくことで、じつは大きな収穫を得るものです。

いままでは、知らなかった人物を知る。「こんな時代にこんな人がいたなんて!」とぜひ感動して頂きたい。こういうふうに課題に関われると、疲れません、仕事をしていく中でも、デス! 前のめりに没頭していくのは楽しいことですヨ。

感動体験でひとはじぶんの知らぬ間におおきく成長していきます。人の魅力というものが増していく。情報収集も大切です。でも情報にほんろうされてもいけません。

緒方洪庵を今回知ってみて、重要文化財として保存されている適塾に、いつか必ず行っておこうとわたしは思うようになりました。