「そんなことを言われて、私は傷ついた。ショック。」とよく言います。
ホンネでの付き合いをしかけているときに、そうした言葉が返されると、その瞬間から付き合いの深みはなくなります。
「傷ついた。」と言った本人も、その瞬間から成長が止まります。
「傷ついた。」というひとは、気づけない人です。
ストレスのかかる局面に追い込まれた時、「傷ついた」と感ずるか、「気づいた」と思えるか。この2者択一しかありません。
ネガティブなメールを残しておくと、ネガティブなメールを呼び込む。
メールというのは、発信したひとの心が添付されて送られます。
同じような言葉でも、そのときの思いが不思議と伝わります。
ネガティブモードのメールを受け取ると、自分によろしくない影響を受け取ってしまいます。
元気の真逆の負のエネルギーで脚を引かれているのです。
自分の元気をキープするために、「大変」「ごめんなさい」という内容のメールがきたら、読まずに全部削除する。
届かなかったことにすることで、そのあとにもギクシャクならずに済むのです。
ピンチはもっと前に起こっていることに気づく。
ピンチの前の時点で、友達や恋人や両親は「危ないよ」とアドバイスしてくれています。
ピンチに陥ってはじめて「大変だ、大変だ」と騒いでいる人は、大切な人からのアドバイスを聞き入れる耳を
持っていませんでした。この時点で、すでに信用を失いかけています。
「あの人はアドバイスをしても聞こうとしない。崖から落ちないとわからない。」と思われます。
本人は、「自分はこんなに一生懸命がんばっているのにこんなことになってしまった。わたしのセイじゃない。」としか感じていません。
アドバイスを聞いていた時には、「大丈夫、大丈夫!」という態度でいた、その結果が、当たり前のように出ていることに気づきません。
危機になってから「どうしよう、大変だ!」では遅いのです。
大切なのは、ピンチが起こる前に、「このままいったら自分はヤバイ」という危機意識に敏感になることなのです。
人生の中でつまずくことがあります。
聖書には「つまずくことなかれ」と書かれています。神(=愛)の存在につまずくな、といいます。
それでも、ひとは歩いていると何かに足がひっかかる、「つまずく」ことがあります。
すべての人がつまずくわけではありません。
人生でつまずきのあったひとは、神さまから選ばれた人です。
コツコツがんばっている人しか、つまずけないのです。
「なぜ、ココにこんなものがあるのか?」と、つまずく障害にこそ、宝物が眠っています。
つまずくことは、悪いことどころか、良いことなのです。
スッーと通り過ぎたら気づけない。
あなたが生まれる前にあなたが作ったストーリー。
そのストーリーの醍醐味は、つまずくところにあるものです。
つまずいたものには、人生をハッピーにする大切な宝物を探すヒントが隠れています。
(原文に加筆または、管理人が若干表現を変えています。)