大学生になる前、管理人は自律神経失調症のようなところがありました。家族にも話さず病院にも行かなかったのですが、自分で書籍を読んでみて調べて、そのように自覚していたように思います。

病気というほど重症ではなく、時々、不安感が頭の中でいっぱいになると心臓の鼓動が早くなる、不安感が増幅してしまうと、目の前のすべきことに手をつけることができない、そうしたところがありました。

以前にもご紹介している、「自己創造の原則」いまは改訂され「自分が好きでたまらなくなる本」との出会いがすべてを少しづつ変えてくれました。この本に出会う前に、どうにかして自分で自分を変えたい、という思いが強かったことが前提に有ったとも思っています。

大学に入学すると、部活をしようと考えていました。自分が好きなことで仲間を作りたいと漠然と考えていたのでしょう。いくつかのクラブの説明会に足を運び、自分に合うのか合わないのか感じながら、数週間が経ちました。

結局、油絵はしたことが無かったのですが、それまでに、してみたい、と思っていたことの1つであったことと、クラブの雰囲気が自分に合っているのではないか、と感じて入部することにしました。

最初は、友達ができないんですが、クラブに入部している同級生と食堂で出会ったりして、徐々に仲良くなったと思います。その1人の友人とはとても仲良くなりましたよ。
わたしは東京に住んでいたので実家からの通学です。

大学というのは、地方から下宿を借りながら学ぶ学生が多いという世間の常識的なことも、そのころ初めて知ります。休みの日にもその友人の下宿に遊びに入ったり、外へ遊びに出かけたりしました。

そのような外出途中の電車の中で、いまでいうところのパニック症候群のような症状に見舞われます。それまでにも何度か襲ってくる症状。こんな時になんでなの?と思いながら、全身がこわばりました。

電車に乗って座っていると、突然、不安のかたまりのようなものが全身を襲い、息ができないような状態になりました。

そのときは、意味不明で突然やってくる不安感という感じ。「なんなんだこれは?」と思うことでさらにイヤな関わりたくない感情が増幅してしまう。

いまにして思えば、あまり外出しないで、自分を環境から守ることをし続けてきたため、いつの間にか、その不安感が恐怖心になっていました。その恐怖心を強固にしてしまった。自分自身で頑固になっていたための当たり前の反応。

その自分の殻を壊そうとしている最中に、ありがたくない、これまで培ってきてしまった恐怖心が、電車の中という閉塞した場で再現したのだと思います。

そうしたことはありますか?
改善の試みに勇気を出し、意を決して足を踏み入れたのに、歩みだした途中で、邪魔が入る。打ちのめされる。自信をなくす。もとにもどる。

この「自分がたまらなく好きになる本」には、悪習を断とうとした時に表れるどのような言い訳や思いもそのまま受け取らない、と書かれていて、そのことがその電車の中のわたしの頭にありました。

心臓の鼓動が早くなり、息もできないような状態です。ここで死ぬかな?とも感じていたと思います。それでも、「言い訳や思いもそのまま受け取らない」と、そのことを思い出し、そのまま、なるようになれ!と、じっと耐えることにしました。

じっとそのまま座っていること。うろたえずに、じっとそのまま座っていること。やりたいことを続けていくために。

それまでの私なら、そこで電車を降りたり、すこし休憩して自宅に帰ることにしていたと思います。少しこれまでと違ったことというのは、隣に友人がいた。このことがとても大きなことだったのかもしれません。

その友人に言うのが恥ずかしいということもあったかもしれませんが、それ以上に、ここで踏ん張るための道ずれのように感じていました。ここを耐えるために居てくれる、外に出る機会をくれた恩人、というように感じていたと思います。

じっとしてる、それだけです。すると、徐々に自分を取り戻している。じっと電車の座席に座っていると、落ち着いてくる。不安感がしぼんでいく、そうしたことを感じました。

意識の置き所が、自分にしかなかった。自分の不安感がこころのすべてであった。それが、やりすごす、と決めてみると、不安感で押し潰れていたこれまでと少し違って、不安感がなくなっていくこころの様子を感じられるようになりました。

このたった1度の経験はとても大きな発見でした。その場で、電車の他の人々の様子をみる余裕ができている自分にも気づきました。ちょっとした達成感、要領がわかった気分。

わたしは医者ではありませんので、すべての同じような症状の方々にお勧めすることはできません。初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラさんの著書では、自分のこころに浮かぶ感情を見つけて、その感情を指摘するとその感情がなくなる、と書かれています。

この場合でいうと、「不安、不安、不安」とか「恐怖、恐怖、恐怖」と3回ほどこころの中で、自分の感情をそのまま指摘していくと、その感情は消えてなくなる、と書かれています。どなたがしてみても同じ結果になる普遍的に有効な方法です。

「不安、不安、不安」と指摘すると1度その感情が自分のこころから消えます。それでも浜辺の波のようにまた不安感が押し寄せてくるものです。その第二波がきたら、「不安、不安、不安」と指摘していきます。

またつぎの波がきたら、おなじように「不安、不安、不安」とこころの中で指摘していきます。そして腹式呼吸をしていく。なんども訪れます。めげないで、その都度していきます。それが人間として正常なのだと思いますよ。

実は、こうしたことが脳科学的にも優れた対処法であることが、解明されつつあります。脳の中に新しい回路を作ることになるのだそうです。これまでの自分と認識していた回路とは別に、まったく新しい回路、客観的に俯瞰して自分を観察するこころが育つ自己観察の方法で、初期仏教では昔から伝承されている方法です。

管理人は大学生活を迎える前は不安感でいっぱいで、期待もいっぱいありました。自分を変えていくためには、なにか自分と戦うようなこともしていた、ということを書きながら思い出しています。自分のこれまでの悪習と戦う上で、友人が一役かってくれる、そうしたことがあります。

まず、1人。気の置けない同性でも異性でもいいので、仲のいい友達を作ってみてください。1つ成功すると、2人目3人目に応用できますし、どんどん行動的になれば、とてもたくさんの友人ができます。

自分から声をかけて、なんでもいいので話しかける、それだけで上手くいきます。どのような友達が自分を好いて、興味をもってくれるのかもわかってきます。仲良くなれる友達をさがしていきましょう。

趣味趣向が似ている人が集まっているクラブのような集いには上下関係などもありますが、そうしたことが苦手なタイプのわたしでも楽しく過ごすことができました。
部活のような集いに身を置くことも、とてもお勧めです。

仲間ができると勇気がもらえる、ということがありますし、みんな同じようなところで悩んでいたりするものです。「な~んだ。オレとおんなじじゃん・・・。」というのも安心できる経験になると思いますよ。

自分自身がしたいと思ったことは自分に強制していく。そうした強制ということの意味をはじめて知ったのも大学生のころであったと思います。憂鬱な気分が日常化しているなら、自分に何かをする際には、強制していく、という気持ちがとても大切です。

難しいことではありません。堅苦しいことでもなくて、友達になろうと、話しかけ挨拶などをして、一緒に楽しむということを、おじけないで、少し自分に強いるような強い気分で、実行してみましょう、ということです。

話しかけられると人はうれしいものです。そうしたことを、まず、自分から与えると、あなたの与えたものが、いずれ、自分に帰ってくる。そういうように世の中はできています。

大学生の方には、たぶん、これまでの学校とは違う、自由度のとても高い、色々な面白い仲間が集っている大学で、楽しい充実した生活を送って頂けたらと思います。