イライラしてしまったり、怒りとか不安感といったものを心理学周辺で改善へ持って行ける場合もあれば、食べ物、なにを食べるか?で自分自身で整えていくこともできるとわたしは考えています。たべもので健康な体になってそのうえで瞑想などをしていく、というのが自然な流れなのだとわたしは思います。

ココでは詳しくお話ししませんけれど、数日前にNHKの何かの番組でも腸内細菌によって難病が治ったということを放送していました。日本には世界に誇れる発酵食品があり、その発酵食品はわたしたちの腸にとってもイイことは、小泉武夫さんや藤田紘一郎さんの著書を読んで頂くとすぐわかります。

最近は脳科学者とか心理学者がテレビ番組でも人気で、彼らの言動に信頼を寄せていらっしゃるかたも多いのだとおもいます。

日頃の食事が乱れてしまっている。そのことを自覚されている比較的高齢の方であれば、サプリメントや健康食品を購入されているかたも多いことでしょう。一方の若者はそもそもその親御さんが料理を作らない、といったことが普通になってしまった。先週の日曜日にわたしがみて驚いたことは、ミエル川口のケンタッキーに行列ができていたことです。

ケンタッキーさんを悪く言いたいのではありません。夕食にできあいの食事をとることがカラダにあまり良くないと私は考えていて、なにかのクリスマスなどではない普通の日曜日の夕食前に、30名程度の行列を作って、おいしさに向かってしまっている。たまのイベントとなる日曜日の風景ではない日常の風景として、普段通らない歩道を歩いていてすこし驚きました。

(すこし、わたしの思い違いもあるでしょう。ちゃんと健康も考えていらっしゃるそんな家庭も多いとは思います。今回のテーマを語る上で、なぜそう私が考えるのか?をわかりやすくするためにあえて脚色してしまっていることはお許しくださいマセ)

私見と前置きして、自宅で鶏肉を買ってきて、コロモをまぶして油で揚げて食べるほうがおいしいとわたしは感ずるし、自分で料理すると添加物もゼロではないでしょうけれど格段に減らすこともできる。こうしたことがメンドクサイ、買った方がおいしいのかな?とわたしは思ってしまいます。

自己防衛をせずに腸内細菌が減る(死ぬ)方面のことを習慣にしていると、じつはその食事によって腸の微生物が元気がなくなって結果イライラしたり怒ってみたり、不安になったりしているのに、脳科学者とか心理学者の語る別の部分で対処しようとしている。

原因とその対処方法がかみ合っていない。

たしかに、正しいんです。脳科学者とか心理学者の語る部分は。でも自分(あなた)にとってホントに大事なのは、味噌汁1杯であったり煮干しのだし汁だったりするのであろうと私は考えます。

わたしはポテトチップスもつまみ程度で買って食べますよ。かなり優柔不断です。潔癖の反対。でも、ポテトチップスは放置してもめったいカビが生えません。ふつうの食べ物ではなさそうです。かなり効果の高い薬品ぽいなにかを使っているんでしょうね。カップ麺もかなりヤバイ食品です。優柔不断な私は、そのヤバイ食品であるカップ麺もたまーに食べます。

たべますけれど、コイツの悪さ加減と口でのおいしさの両面を知っているつもりです。なので、たとえば、カップ麺のやきそば2個を食べきって、「このうえない幸せ~」とは思いません。(どこかの深夜番組で女子高生が忙しい一日を終えて自宅でそのカップ麺のやきそば2個を完食後、このうえない至福の笑顔を見せていたのが、逆に悲しくなりました。かなり人生を知らされていない。ホントにおいしいおいしさを教わっていないと)

外食って調理されちゃうから、極端にいうと「何が入っているか?」確かめられません。調理されてテーブルに置かれる料理って中になにが使われているか表示がゼロです。かなり信頼している料理店でもこんなことがありました。食後に体が急にだるい。熱っぽい。これってなに?となることがある。料理する人が変わるとキット具合が悪くなることがある。

普段体にイイものばかり食べているから?か、すこしヤバイとすぐ体のセンサーが反応する。「この感じは油が古かったんだな」とあとでからだの感じで自問自答してみてわかります。

ザックリいうと、これからお話しすることは、食事がしっかりすると原因がなくなる可能性もある、そうしたかたがたもとってもとっても多いと思います。勘違いされませんように。

自分の手で作ったり、ご家族がキッチンで作った料理を毎食ではなくても日に1回以上は食べている方はこの限りではないでしょうけれど、毎食、作られている食べ物ばかりの方は、難病になる確率は格段に高いとも申し上げます。わかくして難病になるでしょうね、残念ながら・・・。

前置きはこのくらいにして本題はココロの不安定な方に向けて。仕事以前に、なんらかの原因があると仕事もままならないと私は日頃から考えています。原因には食事とココロが関係しているので見逃せません。

最近のブログで、精神科医の高橋和巳さんの「子は親を救うために『心の病』になる」という本を紹介させて頂きました。内容は割愛してしまっていました。子は「心の病」以上に「犠牲者」にすらなるのだと前回のブログを書きながら私は考えています。

(ちなみに「子は親を救うために『心の病』になる」には、

・息子は親を救うために引きこもった
・娘の摂食障害が母親の人生を回復させた
・虐待されて育った子は、「善と悪が逆」になっている
・親とのつながりを持てなかった子の不思議な訴え

といった具体的な症例をおいながらその原因と回復の経過がくわしいです。以下でお話しするのは最後の「親とのつながりを持てなかった子の不思議な訴え」についてです)

(前回の当ブログで取り上げさせて頂いた事件の加害者にはきっと「虐待されて育った子は、「善と悪が逆」になっている」ココに関係があるハズです。少年法を変えることが対処として正しいのではありえません。じょじょに悪くないのに裁かれることになるんでしょうね。)

その「子は親を救うために『心の病』になる」には、ふつうの親子関係で病む症例も紹介されていますけれど、わたしが今日考えたいことは、親が発達障害であった場合。親になんらかの普通ではない障害があるけれど、その親本人もそのことを知らないし、当然そのお子さんもそうしたことがわからないから苦しむ症例です。

でも案外こうした方って少なくはないのかな?とわたしは思いました。多くはないから、わからなくって苦しむこともあるかもしれない。

大川恵子さん42歳はこれまでにも別のメンタルクリニックに通院したことがある方。外資系の専門商社に勤め、都心のマンションにひとりで暮らす方です。

最初のカウンセリングで大川さんはまっすぐに本題に入った。(そのくるしさがつたわります)

「なにかうまく生きていけないんです。

わたしはずっと生きづらさをかかえています。うまく生きられないままにここまできました。いろいろやりつくしてしまった感じで、それでもうまく生きられない。疲れているのかな?早くこの人生が終わって、と思ってしまいます。こんな歳になって、何を考えているんだろうと思うけど、

このまま生きていくのだったらもう嫌だなって思います。

うまくいえないけど、子供の頃からずっと『平気なふり』をしてきました。今も本当は平気で、だから、仕事もしてるし、生活しています。友達もすこしだけどいるから、平気で、ぜんぜん楽にやってます。

・・・なんでも客観的に見えて、困る時があります。見えすぎるのでどれを選んでいいかわからなくなります。

・・・『これがあれば私は大丈夫』というものを欲しがっていました。家の中にはないと分かっていました。外にあると思っていました。でも、外にもありませんでした。

・・・最近、急にイライラしたり(更年期ではないことをこのかたは確認しています)、突然、落ち込んだりしてしまいます。落ち込むのはずっと前からあるけれど、イライラは最近で、それが強くなっています。

もう疲れてしまいました。」といって、目に涙を浮かべた。

「小学生のとき、友達の家に遊びに行ったときです。その子の部屋で遊んでいたら、お母さんがお菓子を出してくれました。それが花の絵があるお皿にのっていてきれいでした。

お菓子をお皿にのせると『おやつ』というんだ、と私は理解しました。

高校生のときに、医学書をよんで『離人症』を読んで、「わたしってこれだ!」と思ったことがあります。」

「母親は、厳しい人でした。母は自分だけが正しいと思っている人で、何か言い出すと、それに従うしかなかったのです。子供の頃から、母に何を言っても無駄という感じでした。

小さいころ、母親が急に怒り出して、お腹を蹴られることがよくありました。怒られる理由はいつもわかりませんでした。」

高橋医師:「理由がわからないというのは?」

「いきなりなんです。急に『部屋がきたない』とか言い出して怒り出します。怒り出したら、従うしかないです。」

高橋医師:「理由は、お母さんの機嫌が悪いからですか?」

「そうです。母の機嫌です。私には関係ないことで叱られました。」

大川さんにできた恋人とのデートでは、理由なく一緒に同行した母親の心理。叔父の葬式で「人の死によってゆれる人間関係」
を母親は理解できない。医師の高橋和巳さんは、大川さんの母親を「発達障害」と判断します。もちろん、母親が悪いわけではない。母親は子供を育てるのみ一生懸命だったにちがいない。

しかし、残念ながら人間理解の能力が低かったので、こどもに生き方を教えることができなかった、と高橋和巳さんはおっしゃります。

大川さんの母親は、食事を出してくれただろう。でも「おいしいかい?」とは聞いてくれなかった。

すると大川さんはそれが美味しいものなのか、ふつうのものなのか、まずいものなのかを確認できない。体はおいしいものを食べて満足を感じているが、一方でそれが何なのかが理解できない。

おいしいものを食べてお母さんと一緒に喜ぶという体験は、人と共感する原点である、と高橋和巳さんはおっしゃります。

「それが人間関係の土台になる。つまり、おいしいという自分の感覚が母親のそれとつながり、共感が生まれる。おいしさはカラダが感じている。

まったく否定のしようのない明確で確実な感覚だ。」

ほとんどの方々には、こうした「おいしさ」がわかっているのだと私は思います。わたしはこうした普通のことでも「わかれる自分に育ててもらって幸せだなと思います。

普通においしいものを「おししい!」とわかっている方であって、ときどき

「イライラしてしまったり、怒りとか不安感といったものがやってくる」かたなら、わたしは医者でも心理学者でもありませんけれど、食事を大切にしてみるとイイと思います。

もし、「大川さんとすごく似ている・・」というかたなら、高橋和巳さんのクリニックに行ってみられるのもイイと思います。風の木クリニック

大川さんはこれまでにいろいろなところに行ったようですけれど、高橋和巳さんとのカウンセリングではじめてすべてを聞いてもらったということです。別な症状でお困りならば、カウンセリングを受けることで働き出せる、働き続けることができることもある、とわたしは考えます。(もちろん私は関係者ではありません)