なぜ、瞑想とかマントラ(口癖)とかといったことで運が上向くのか?

たとえばアルバイト先で、新人が同時に3人採用されたとします。あなたとほかに2名のアルバイトがどこかのお店のホールスタッフとして採用されて、仕事が始まります。3日後くらいに、店長から呼び出されて、「店の外の掃除をしていないのはなぜか?」と問われたとします。

実は、アルバイトの初日に店長から「開店の前にはお店の掃除をしてからお店の前の歩道と、できれば両どなりのお店の前の掃き掃除をするように。」と説明がありました。その日は、たまたま誰もしなかっただけ。誰がするという明確な指示もありませんでした。

あなたは、「自分がやってもよかったけれど、他の人がやると思っていた。」と思っていました。言われたならするタイプです。もう一人は「掃除自体がつまらない。ホールの接客がしたくてこの仕事がしたい。」と思ったので、できれば掃除は他の人にして欲しいな、と考えていた。なので、店長に言われても知らんぷりしたいタイプ。

実は、店長から言われてすぐに、掃除を始めたのが3人目の人でした。彼は、「そうだった。お店の外も掃除をするんだった。忘れていたっけ・・」と思っていました。開店間際で時間がないと思い、急いで掃除をしなくては、とすぐ体が動きました。

とても単純で稚拙な例えになりましたが、瞑想とかマントラをしていくことで、いまに集中できる。いま目の前のことに雑念を払拭して事にあたる考え方が身についたり、すぐやる行動力がついていくんです。イヤイヤな様子ではなくって、「ハイ!私がすぐにします。忘れていました。申し訳けありません!」といって、サッサとすべきことをしていく。そんなタイプに変われます。

人は持って生まれた性格を永遠に変わらずにもっているわけではありません。「わたしはこうした性格だから・・」というのは当たっていません。性格は変わりますし、自分で変えていけるんですよ。口癖だけでも随分変えていけます。

日頃の無意識に出てしまっている口癖を変えることができるんです。実は、マントラは声明(しょうみょう)といった高尚なチベット密教の高僧が唱えるようなイメージではなくって、「口癖」と置き換えていいんです。御線香を立てて、ボンボーンとかカラカラとかやらなくっていいんです。

余計なところで行動をストップしないようなココロができていく。笑顔で楽しそうに仕事をしていく。こうしたアルバイターは店長にとって、ありがたい存在になります。いきなり感謝はされないでしょう。

でも、店長のココロに中では、「コイツはやる気がある。」とか「行動力があるな・・・」と一瞬でも思うハズです。何か他の仕事があったら、まず、コイツに頼もう、とは思っているんです。

「そんなの損なだけでは?」と思う方もいるでしょうか?でも、世の中の仕事の世界というのは、こんな感じで動いているんです。たとえば、ホームセンターであなたはこの大掃除の最中にキッチンの蛍光灯を新品にしたい。

時間がない忙しい中でクリスマスの準備も残っている。年賀状も書かなければならない。そんな中でホームセンターに行く。でっかいホームセンターで蛍光灯が置いているところが分からない。

レジの人に「蛍光灯はどこにありますか?」と聞いたときに、「わたしはレジで忙しいんです。」とは言われないけれど、そんな態度のレジ係と、「少々おまちください。担当の者を呼びますね。」と言われるレジ係と、新人らしい横のスタッフに「あなたレジやってて、わたしは蛍光灯のところに案内に行くから・・」とすぐにあなたを案内してくれるレジ係と、3様の人がいた場合にあなたはどのタイプのサービスで助かりますか?顧客目線になってみて顧客の立ち位置から考えてみるとわかることがあります。

お店の業態やシステムで、企業ごとの正解は異なるかもしれません。でも、顧客が喜ぶことがサービスになっている。そのサービスが同業他社より優れていると繁盛しているんです。

アルバイターでも、そうした顧客が喜ぶようなことができる人とそうでない人では、大きな差ができていきます。学生の頃に、喜ばれることがわかると、社会に出てからもそのあなたのスキルが使えます。生き抜くための武器になります。

マントラだけでも続けて習慣にしていけると、日常的なツキや運がついて回まわることは言うまでもありません。もっと言うと、あなた自身が魔除けのような存在になってしまいます。自分で気づかぬうちにです。これって面白くないですか?教室に通ったりセミナーで講師の方にお金を払ったりする必要もありません。ひとりで無料でできること。

完全無料でこんなにイイことなら、みんなやっているのでは?と疑問に思う方も多いと思います。昔の日本では神社やお寺は日常と密接に関わっていました。心理カウンセラーのような役割も「葬式仏教」に成り下がる前のお寺にはあったんですよ。

そこからテクノロジーやブランド等があこがれの対象に変貌しました。ココロからモノやカネに憧れの方面が変わったんです。変えた、とも言えます。そこから大衆は、実態のあるもの目に見えるモノが好きになり見えないココロに関心がなくなります。

古臭いものより最先端なものがカッコいい。新しくないと興味がない、新しいものがいいものだという商業主義に都合が良い空気にも原因はあるでしょう。もちろん、便利になって世の中が悪くなったということではありません。

ココロを置き去りにする傾向が高まったということです。でもこのごろではホットヨガとかが流行っていたりもしています。ヨガも呼吸法が伝承されていて歴史の古い一種の瞑想法です。瞑想の為の準備体操と言った方がいいかもしれません。今回はこのくらいで話しを戻します。

店外の掃除にあまり意味はないかもしれない。カッコ良くないかもしれません。でも、店長とか先輩スタッフのいう事には、その先に顧客が喜ぶ何かが必ずあります。そうしたことをしていく前に、「めんどくさい。」と思ったり、「どのようにするの?」という戸惑いでストップしたりしてしまうことで、やればできることをしない状態にしてしまうことはないですか?

そのしない状態という壁を突き破るようにしていく効果が瞑想やマントラ(良い口癖)にはあるんです。1年くらいベッドから起き上がれなかったわたしが実験し再生しているので、効果は確かだと思いますよ。

失敗を引きずる。後悔したり反省したり。そうしたムダなことで時間を浪費することも無くなります。