突き抜ける経験は、いろいろあってイイのだと思いますヨ と以前、学生さんに向けて書かせて頂きました。希望する企業で内定を勝ち取るためには、学生時代までにふつうではない突き抜ける経験をしていくことで、就活の場面でのあなたの履歴書の文字や語る言葉に真実味を込められ、採用側の信用をうる事が出来るからです。

そのときにフレンチ料理界の巨匠となられている三國清三(みくにきよみ)さんについて書かせていただきました。すこし気になってその後調べたことを書き始めます。(三國清三さんのご著書によります)

三國清三さんは、北海道の増毛町の中学を卒業すると札幌グランドホテルにパートとして働き出します。中学生の頃の三國少年が学校に持ていった弁当は、周りの同級生のお弁当とは違っていました。いつも白いご飯だけのお弁当でした。

その三國少年は、夜間の調理学校に通いながら昼間は米屋に働きに出ます。自宅では漁師町であったこともあり和食や畑からとれた野菜をまるかじりするようなことをしていました。

その米屋で夕食に出たハンバーグに度肝を抜かれます。はじめて食べる食感、トロミ、黒いソース、甘さ、酸っぱさにすっかり魅了されます。

そして「ハンバーグを作る料理人になる!」と決心します。調理学校が主催した料理のセミナーに訪れていた札幌グランドホテルの料理長にセミナーの合間に「どうしても札幌グランドホテルで働きたいんです!」と直談判してパートとなりました。

新人のパートには仕事らしい仕事があまりない。そこで三國少年は、従業員食堂の仕事を終えるとそこから宴会場の洗い場に向かって皿を洗います。「ハンバーグを作る料理人になる!」ために。宴会場からの皿は膨大で半端ではない量でした。そこで弱音を吐かずに皿を徹底的に洗い続けます。

そのうち、要領がわかって早く洗えるようになると、さらに調理場の鍋を片っ端から洗い出します。レストランの鍋は寸胴といわれ、大人がすっぽり一人入ってしまうような大きな鍋。それを自分の顔が映るくらいにピッカピカに磨き上げていきます。這い上がるために。

そんな生活を半年続けていると料理長から「三國、ちょっとこい。」と呼ばれます。そして、「三國、お前は今日から正社員だ。」と言い渡されます。中学を卒業して半年で特例の正社員の地位を獲得します。

(今の21世紀の、どのような職場であっても、自らこのように仕事をしていけば、試練を自分で作り出しやりきれば、必ずそのことをしっかり見てくれて評価してくれる人がいる、そんな世の中に変わりはないのだとわたしは思います。

そして、「突き抜ける経験」とは、選ばれた人だけができるような難しい事ばかりではありません。どのような天才と思わるような方でも地道な努力をしています。もしかしたら実は誰にでもできることをバカになって徹底してやっている。そして世の中の面白いことには、そうしたことをチャンとわかって見守っているひとがいるものです。)

パートの洗い場から正社員となり、フレンチ・レストランに異動となります。職場を変えた三國少年は、気づきます。

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「料理の世界で一番大切なのは技術なのだな」と。(今回の掲載写真はすべてオテル・ドゥ・ミクニにて)

上の人に「これできるか?」と仕事を託されたときに「はい!」とやってのければ認められ、そのポジションを任せてもらえる。単純明快な実力第一主義の世界と知ったのです。

でも先輩が手取り足取り教えてくれることはありません。見て覚える、先輩から盗むには時間がかかると考えた三國少年は休日に鶏肉の加工場を訪ね、そこで働くパートのおばちゃん達から、鳥のさばき方のコツを教えてもらいます。

(三國少年はひとなつっこかったのでしょう。ひとなつっこくはない性格の人では無理なのか?若い人でありさえすれば、人生の先輩にあいさつして「教えて欲しい」と頭を下げれば、かわいがられて教えてもらえるものです。「料理を覚えるためにわざわざうちの工場に来たのかい?」と熱心さに関心されるのではないでしょうか?)

正社員になると寮に住むことができたのですが、三國少年はその寮にはほとんど帰らずホテルに連日泊まり込んで料理の練習に励みます。その深夜の自主特訓の成果はめざましく、肉、魚、ソースのほとんどの料理ができるまでになりました。

(誰かから言われてやるのではなくって、自分から前のめりで夢中でやってみると、ぜんぜん疲れません。疲れても心地よい充実感が残るものです。徹夜でマンガを読み切ったり、ゲームを何時間もし気づいたら朝方だった、となっても過労死しないでしょう?(笑)仕事でもオンナジなんですヨ!)

ポジションもドンドン上がっていったある日、先輩から「ワゴンサービスをやってみるか?」と託されます。お客様の目の前でステーキを焼くワゴンサービスは料理人にとっての花形のポジションでした。皿洗いからはじめて2年半で花形のワゴンサービスのポジションまで登りつめます。

三國青年はすこしイイ気になっていました。それをタシナメルようにある日先輩からこう言われます。

「ワゴンサービスになったからって、いい気になるなよ!東京にはな、帝国ホテルという日本一のホテルがあって、そこには村上信夫さんという『料理の神様』がいるんだ。お前なんか村上さんの足元にも及ばないんだぞ!」と。

三國青年にとって、先輩のその言葉は自分のあらたな目標を指し示しているように聞こえます。どうしても帝国ホテルに行きたい。上司からは呆れられる毎日でしたが、「こいつは止めてもとまらない。」ということになり、札幌グランドホテルの総料理長に推薦状を書いてもらい帝国ホテルの門を叩きます。

(何かにとりつかれたように。強烈な情熱が三國少年にはありました。ふつうの人はどうすればいいのか?1つのことを成し遂げるために1つ1つ一生懸命にしていると、あらたな目標は自然にみえてくるようになるものです。)

もちろん、帝国ホテルで料理をするつもりでした。しかし、帝国ホテルでは正社員の募集ワクはない。パートで厨房の洗い場をすることになります。三國少年はかなりガッカリします。「また洗い場か・・・」と。このとき帝国ホテルには正社員を待つ先輩が23人いました。

毎朝、村上総料理長がホテルのすべてのレストランに出向いて挨拶をして回る。その総料理長の行動パターンを調べて、決まって入るトイレで偶然を装って後を追って、顔を覚えてもらいたい一心で挨拶する。料理番組の助手を勝手にかってやらせてもらう。

こうしたことを繰り返しながらもまったく正社員採用の声が掛からぬまま三國青年は20才を迎えていました。ひとの倍は働いた。宴会場を飾る氷細工の手ほどきを受けたり、できうる限りを尽くします。

そしてある日三國青年は思います。

「世の中にはどんなに必死にがんばっても、思いが叶わないことがある。」と。

そして「年内いっぱいで帝国ホテルを辞めよう。」と決意します。

札幌グランドホテルに戻ることはできない。増毛に帰って漁師になるか、と考えたそうです。

完全な負け戦であったと三國青年は悟ります。

ただこのまま辞めたくはない。田舎者であってもパートの身でありながらも帝国ホテルに爪痕を残したい。

辞める日まで、なにかに取り憑かれたように三國さんは帝国ホテルの調理場という調理場の鍋をすべてピッカピカに磨き上げることにします。

(人生には諦めも大切です。選ぶことができないことがあります。選択して手に取ることができないことがある。「時期がまだ早い」ということもある。選ぶことができ、はじめることができたその1つの仕事の世界では、しんどいことが起こります。「もう、どうにもならない」、と思えることがなんども何度も訪れます。

サラリーマンであれば起業などよりはしんどくないでしょう。会社が赤字であってもサラリーマンならよっぽどのことがない限り給与は支払われるからです。たとえば失職して仕事が見つからないような場面。

勝手な私の私見ですけれど、どんどん夜になって暗闇になって「どん底だな・・・」と真っ暗闇になると、もうすぐそばには朝焼けの間際なんです。いちばん真っ暗なときに「もうすこしの辛抱だ!」と思ってみること。ほんのすこしのこうした忍耐・辛抱ができるとパッと世界が開けていくことがあるものです。人生はこのように作られている。)

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鍋磨きに没頭していたある日、村上料理長に呼ばれます。

「きみをスイスのジュネーブにある日本大使館付きの総料理長に推薦しておいた。年が明けたら、すぐに行けるように準備しておきなさい。」

帝国ホテルのパートであった三國青年はまだ1度も料理らしい料理を帝国ホテルで作ったことがないのにデス。(面白いでしょう? 凄まじいでしょう? すくなくとも普通ではない。村上さんも三國さんも。ともにふつうではない程の志が共通していた。言わずとわかった。)

村上料理長はなぜ三國さんを大抜擢したのか?

村上信夫さんのご著書の「帝国ホテル厨房物語」には、

「三國は、鍋洗い1つとっても要領とセンスがよかった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをし、盛り付けを手伝い、味を盗む。シェフの段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。そしてもう1つ、塩の振り方だ。『塩振り3年』というが三國は素材にあわせて、じつに巧みに塩を振っていた。実際に料理を作らせてみなくとも、それで腕の程がわかるのだ。」

と推薦した理由を語っていらっしゃります。上司というのは部下をちゃんと見ているものなんですね。

(たしか、北野武さんは仕事で認められるためには、その仕事の同業者に「すごい!」と認められることだと語っていらっしゃります。重要なことは、顧客に喜ばれる部分(だけ)ではなくって、同業のプロに認められること。どのお仕事にもそれを生業(なりわい)としたことで見えてくるものがある。

料理人の世界では「塩の振り方」でした。素人にはまったく想像できない部分。でも味わいが違ってくる。そうしたことをしっかり感じ取れる感性。一流の料理人からそのポイントを盗み、誰にも教わらずに三國少年がひとりで身につけた技。一瞬でこうした料理人としての姿勢を村上信夫さんは見抜いていたのでしょう。)

スイスに旅たつ三國さんに村上信夫さんは大切なことを2つおっしゃります。

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「10年後にはきみたちの時代が来る。だから、10年間は向こうで修業してきなさい。」

「向こうで稼いだお金はすべて自己投資しなさい。一流レストランで食事をするなり、美術館をまわるなりして、一円残らず使い切ってしまいなさい。」

(10年というのはその世界でトップ周辺になるために必要な期間なのだと私は思います。どのような世界であっても真面目に必死に1日1日がんばるを10年間続けると一流の仲間入りができる。量が質に変わることがあります。転びながら自転車に乗れるようになることと同じです。

職人の世界ではどの職人でも一人前になるには10年かかる、とよく言われています。フレンチ界の神様の村上信夫さんは三國清三さんが日本のフレンチ界でトップの料理人となることを望まれた。ふつうではない異常なまでの執着心に素質を見抜いていた。)

自己投資というのが、今回の当ブログでいちばんお話ししたかった部分です。

無駄遣いしたり浪費することがイイと言いたいのではありません。

自己投資というのは「がんばった自分へのご褒美」なのでもありません。

あらゆる手段、体験、出会いを通して料理を考えることに使え、と村上信夫さんはおっしゃりたかった。

重要なことは、感性豊かな若い時期に、一流のひと、一流の所作ふるまい、一流の営みのすべて、そして伝統文化として残った確かな芸術にどれだけ出会うかで人生は決まる。それを知っていた。

世の中のあらゆる高みの凄みを、鋭いみずみずしい感性に自ら植え付けよ!

と村上信夫さんはおっしゃりたかったのだとわたしは思います。

なぜか?

その後のすべての人生の場面で、成長し続けることができるからです。

さらなる高みがあることをすでにカラダの芯の部分でしっかりと知っているのだから。

先行きの見えない世の中で、堅実に貯蓄することは悪いことではありません。

でも、もしも無目的に貯蓄しているとしたら、それってホントに賢いことなのでしょうか?

ただオビエテ身を屈めてフトコロを守っているように私には見えてしまいます。

こうした守りはかなり危ない。止まってしまうからです。あらゆる可能性を縮ませていないか?

お仕事やあなたの純粋な興味のあることにお金を使っていくことをチュウチョすることが普通な世の中になりました。

どうしても行きたいところに行くよりも計画的な貯金を優先してしまうことは、じつは間違っているのかもしれません。

安全だったり安定ってなんですか?

成長していくことに勝る安定はないんです。(当ブログではなんどもお話ししています。)

成長って知識が豊富になることだけではないんです。人間の器を大きくしていくこと。

目的を持って自己投資することの方がはるかに安全なのではないでしょうか?

安定よりなにより、感動の連鎖反応は、はるかに人生を楽しくするハズです!!

生きている実感(感動・歓喜)を取り戻す。

あなたが生きた”爪痕(痕跡)”を残すために。